越後の龍

5/5
前へ
/321ページ
次へ
必死!そう正に必死の形相で駆け抜け…越後に入る… 謙信に付いてきた騎馬隊は五十を切っていた… 越後に入ると馬は泡をふいて倒れた… 謙信らは徒歩にて春日山城を目指す… 重たい身体をひきずるようにして歩き…見えてきた春日山城… 城の前には軍勢が屯していた…旗印は「天下布武」… 上杉謙信はその場に座ると脇差しを抜き自害したのであった… 関東菅領…軍神上杉謙信…堕つ… 信長はその報告を摂津にて聞いた! 柴田勝家には越後が与えられ、佐久間、氏家、金森が与力として付けられた。 越中は佐々成政が大名となり支配を任された。 藤沢匠には佐渡が与えた。 匠は甲斐の神戸信孝と交渉し甲斐の金堀り衆を譲り受け佐渡に派遣し金の採掘をさせた! 代官には石田三成を置いた。 更に京の両替商の後藤氏を召し抱え金の通貨の鋳造を任せる。 出来上がった小判は「天正小判」、信長の許しを得、朝廷に通貨とする事を認めさせたのであった。 銭での取引は嵩むばかりであった商人たちも天正小判の発行を歓迎したのであった。 小判の種類は五種類あり、一番小さい物は銭で言うと十貫の価値があり、五十貫、百貫、五百貫、千貫の価値へと続く。
/321ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1188人が本棚に入れています
本棚に追加