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織田信長が「関白」の宣下を受けたのはそれから三年後の事である。
九州の島津家、四国の長曽我部家、中国の毛利家、関東の北条家、奥州の伊達家
それ以外の緒大名は恭順を誓う為に摂津から名称を変えた大坂の織田信長に頭を下げに来たのである。
中には滅ぼされた大名もある。
奥州の南部家などは、匠の逆鱗に触れて攻め落とされてしまったのだ!
蝦夷地の蠣崎家との取引で藤沢家の船を攻撃した事が原因である。
その取引をする為に南部家にも通行料を支払ったのにも関わらずである!
匠は烈火の如く怒り、藤沢家の軍船を全て南部領に差し向け討ち滅ぼしてしまったのである!
藤沢家の火力…
羽州の大名は藤沢家の大船団を目の当たりにして…慌てて大坂に走ったのであった。
逆に、小田原城を本拠とする北条家はのらりくらりと言い訳を付けて大坂に来ようともしない…
信長は期日を設けその期日を越えたなら敵と見なすと通告したにも関わらず、大坂に来たのは、北条氏直であった。
氏直は当主である氏政の息子である。
「父は病気でござれば…」と言う氏直に信長は、挨拶にも来れぬ程の病気ならば隠居をせよと氏直に言付けて氏直を帰したのであった。
大坂を観てその発展の凄まじさを目の当たりにした氏直は、織田家にはどう足掻いても敵わぬからと氏政を説得し一度は首を縦に振ったが、色々と条件を出した…
織田家に服従している上州沼田城の返還と、徳川家が切り取った伊豆の一部を返還する事、更に徳川家からは人質を差し出すようにとの要求であった!
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