匠の本質…

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匠が拘りぬいた城が完成したのは、稲葉山城を無血で奪ってから三年後の事であった! 信長は美濃の地を「岐阜」と改め稲葉山城を「岐阜城」と改名した。 その間、ただ美濃の開発だけに力を入れているだけでなく、信長は東は武田家と婚姻による同盟を結び、西は浅井家とも婚姻による同盟を結んだ。 また、伊勢の北畠家、神戸家に信長の次男、三男を養子に入れ伊勢の支配権を実質的に手中に収め、岐阜、尾張の地盤を強固な物にしたのであった! 匠は、岐阜城建築だけでなく、開拓や治水などの工事にも相談役のような形で参加し忙しく働いた。 その働き振りや豊富な知識、的確な助言をして、重臣は元より織田家家中に認められ一目措かれる存在となっていたのであった。 合理的、尚且つ見た目の美しさにまで拘る匠は、織田家の家風と同化し、織田家独特の文化を作り始めた。 岐阜城の壮観たる姿と、町の道の素晴らしさに、民は勿論、新たな町に進出すべくやって来た豪商たちは唸るばかりであった。 匠は自領となった小牧山をありとあらゆる工人を集め工業都市を作った! 製糸、製布、工芸、木工、鉄砲の生産も始めた! 小牧山周辺の農村は匠の指導が入り作物の生産量を増やしたのであった! 同時に養蜂や養鶏、畜産も教え農村の民たちは匠が領主となった事を喜ぶのであった。
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