匠の本質…

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藤徳屋は伊勢、飛騨、甲斐、信濃、北近江にも支店を出す程に繁盛している。 小牧山藤工の作りし生産品を一手に商う藤徳屋は豪商の中でも一二を争う程である。 徳兵衛は集落を息子の徳一に譲り、藤沢家の重鎮として主に農政を担当している。 匠は徳兵衛を士分に取立て配下としたからである。 無論、徳兵衛の立っての願いからである。 今は「藤倉徳兵衛」と名乗っている。 名字の由来は、藤沢匠のお陰で倉が立つ程に裕福になったと言う意味が込められているとか… 歳をとり、各村を巡り歩き村人に農業の改革を奨める内に、匠に付いてもっと農業の事を知りたい学びたいと言う思いから匠に師事したいと申し出た徳兵衛であった。 それならば、匠が教える農学を実践出来る匠の配下として働く事になったのである。 徳兵衛は匠に依頼があった織田家の領主たちの村々を回り、匠に教わった農学を民たちに教えて回っている。 人徳に厚く面倒見の良い徳兵衛は尾張は元より岐阜の百姓にも名が通っているので、事はスムーズに進む。 その岐阜の発展振りを見た飛騨の姉小路家は、織田家の傘下になるべく岐阜城にやって来た。 山々に囲まれた飛騨の地は石高三万石程度の小国である。 信長は、岐阜の発展の力で隣国を従えたと言う事で益々、匠の遣り様に傾倒していくのであった。
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