20 水底

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演目の締めに尾びれをお客さんに向けて振り動かすイルカの愛らしい仕草に見送られながら、笠松さんと俺は会場の外──外とはいってもまた屋内へと戻って行く──へと人の流れに乗って移動していく。 「笛の音と身振りの組み合わせであんなに細かい指示を出せるんですね」 「人間に出来ない動きってどうやって教えるんだろうな」 「確かに。たまたま飛び上がった時にたくさん褒めてご褒美をあげるんでしょうか」 お手とかお座りみたいに。 小さい頃、銀沙にやってとお願いしたことはあったけど、嫌そうな顔をされながらも渋々前足を差し出してくれたのは、その後のご褒美があったおかげだと思う。 そんな昔の俺と銀沙のようなやり取りが飼育員さんとイルカとの間で行われていたのかもしれない、と考えると想像が広がる。 笠松さんも大真面目な顔でイルカショーを振り返っているようだった。 ゆったりと大股で進む足取り。それに沿うように何か鈍く光るものが揺れる。 ついそれを目で追っていると、唐突に鈍い光が笠松さんから離れていってしまった。 「──あ、」 コツン、と小さくて硬い音を立ててそれが床を跳ねる。 跳ねて、不思議な軌道を描きながら俺の近くまで転がってきた。 拾い上げるとひんやりと冷たい。 「尾上、どうした?」 ズボンから落としたものに気付かない笠松さんが振り返る。 近寄って、俺は拾い上げたそれを差し出すと、笠松さんの目が大きく開かれた。 「これ。笠松さんのですよね。よかった、すぐ見つけられて」 「……ああ」 「とてもきれいなヤタガラスの根付ですね。笠松さんによく似合ってます」 落とし物は、鉄製の精緻な根付細工だった。 片方の翼を広げた漆黒のヤタガラス。意匠としては珍しいけど、3本の脚を持つ鳥は伝説の中にしかいない。 明るい橙色の組紐がくくりつけられている。てっきりその紐が切れたか何かしたのかと思ったけど、別になんともない。綺麗なものだ。 俺が差し出した根付を、笠松さんがじっと見つめる。 なかなか手を出さない様子におや、と思う。 どうしたのだろう。ひょっとして笠松さんのものではなかった、とか。 でも確かに笠松さんのポケットから零れ落ちるのを見たんだけどな。 俺が様子を窺っていると、妙な間と沈黙に我に返ったのか、笠松さんがはっと目を見開いた。 思い出しように根付のヤタガラスに手を伸ばすも、触れる寸前で指先をためらわせる。 「尾上は、この根付──」 「はい」 「……いや、悪い。拾ってくれてよかった」 何かを言いかけた笠松さんは、結局その先を尻切れトンボにして、無理矢理お礼に繋げてしまった。 根付について俺に聞きたいことでもあったのだろうか。 聞き返す間もなく、俺の手のひらから小さなヤタガラスをそっと取り上げる。 体温か移りかけていた鉄の重みが去っていく間際、あ、と俺の口から声が漏れた。 「笠松さん、その子、」 「こ?」 間違えた。慌てて誤魔化す。 「あ、いえ、その根付なんですけど……」 どう聞いたものか、とここで少し言い淀む。 どこまで聞いても大丈夫だろうか。どこか期待したような光を浮かべた笠松さんの目が無言で先を促す。 「誰かに貰ったものですか?」 「そう、だけど」 「結構古いもののようなので、なにか由来とか聞いていないですか」 予想と違う質問だったのか、笠松さんがきょとんとした顔をした。 「いや……何も。これをくれた奴からは、何も聞いてない」 「……そうですか」 「何が気になるんだ?」 笠松さんは本当に何も知らないようだった。 不思議そうにしている笠松さんに首を振る。ここでおかしな空気にさせてしまいたくない。不安にさせないように笑う。 「気になるというか……俺、根付とかの細工物が好きなので、つい飛びついてしまいました」 「飛びついたのか。ちなみに、見覚えがあるものだったとか」 「見覚え、ですか?ないと思います……多分」 ヤタガラスの根付をじっと見てみても、引っ掛かるものはない……はず。 どうもはっきりしない。記憶がぼんやりとしている幼い時まで掘り起こせば何かあるのかもしれないけど、いまここで鮮明に思い出すのは無理な話だ。 それに、今重要なのは、その根付がどんな意図を持って笠松さんに渡されたか、だ。 「誰から貰ったか、聞いてもいいですか」 家の人だといいけど。 そう思って聞いてみたら、笠松さんはどうしてか、とても困ったような、それでいてむっとしたような顔をした。 しばらく俺の顔を見たあと、複雑な表情をしたまま小さく首を振る。 「……内緒」 言いたくないらしい。 あまり踏み込んで欲しくないこともあるだろう。 悪いな、と眉を下げる笠松さんにぱたぱたと手を振った。 「すみません、こちらこそ。詮索するような真似をしてしまって。大事なものなんですね」 「……ああ」 妙な空気にしてしまった。 釈然としない様子で笠松さんはヤタガラスの根付をポケットにしまい直し、止めていた歩みを再開する。 その背中を追いながら、俺は自分の手のひらへと目を向ける。 細く、ごく薄い朱線が手のひらの真ん中を走っていた。 笠松さんが根付を俺の手から取り上げた時、微かな痛みが走って、声を上げてしまった。 ちょうど鋭いかぎ爪に引っかかれたような、そんな痕。 気のせいでなければ、ヤタガラスの脚が動いたように見えた。 ただの器物であればありえないことだ。 それならば、導かれる答えは限られている。 あのヤタガラスの根付は、付喪神になりかけている、あるいは、もうすでになっているのだろう。 付喪神が持ち主に悪さをすることはそうそうないけれど、器物が意思をもって動き回れば不審に思われることは間違いない。 貰いものだとしたら送り手の意図も絡んでくる。笠松さんを驚かせる目的で贈ったのだとしたら悪質だから、多少強引でも根付のことについて聞きたかった。 大事にしているみたいなので心配はいらなそうだったけど。 ……内緒か。 踏み込みすぎてしまった。 いつの間にか俺は遠慮を忘れてしまったみたいだ。勝手に何でも聞いて良いと思い込んでしまっていた。 少し自惚れていたかもしれないことに気付く。 誰からの贈り物なのか、気になる事ではなるけど、言いたくないことならば仕方がない。 自分が図々しくなっていることに少し反省する。 あと気になる事と言えば。 うっすらとひっかき傷が残る手のひらを握り締める。 根付のヤタガラスが意思を持ってこの傷を付けたのだとすると。 あの子は俺の事を気に入らない──あるいは、もっと直接的な言い方をするのであれば、嫌っている、のだろうか。 「……」 なんでだろう。 首をかしげるも、その答えは簡単には見つかりそうもない。 そんな気がした。
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