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カメは、思っていたより俊敏な生き物だった。
イルカショーの舞台から一旦は屋内へと戻った後、展示は一気に明るく開放的な雰囲気へと変化した。
陸地に帰る準備でもしているみたいだ。
外界の白い太陽光を大きな窓から取り入れて、浅瀬に住まう生き物たちや、水族館が独自に取り組んでいる事業を紹介した空間を照らしている。
笠松さんが感心したように見つめていたものを確認すると、どうやら深見先輩のご実家が出資した事業もあるようだった。
そして、その展示区画を抜けたところで、また外へと出ることとなった。
「わあ……」
燦々と降り注ぐ日光が眩しい。
日向へと続く床は数歩先できめ細かい砂へと変わり、踏み出した足が沈み込む。
そうして砂の上に残った足跡が大小様々に幾重にも重なり、はしゃいだ様子を足下に映し出していた。
はしゃぐのもそのはず、砂浜が目の前に広がっていた。
「まるで小さな入り江ですね」
もちろん、本物ではない。どちらかといえばここは山に近い土地だったと思う。
だけどほんの目と鼻の先で柔らかに波打つ浅葱色の水面がきらきらと輝いている。波を生み出す仕掛けでもあるのか、よせては返す汀に砂浜が洗われていた。
波間で小さい子供だけでなく、大人まで靴を脱いで楽しそうに遊んでいた。
ここは自由に人が入ってもいい展示らしい。
海面のきらめきに目を凝らすと、すいすいと横切る魚の影が見える。浅瀬そのものを移植してきたという表現が一番当てはまる、なんとも大がかりで豪快な展示だった。
「カメ、あそこにいるぞ」
「本当だ」
カメは、そんな光景を眺めるように近くの水槽で漂っていた。
笑いさざめく声を背に、身の丈ほどの円形の水槽を覗き込む。
「アカウミガメっていうんですね」
名前にあか、と付いているから身体の色が赤いのだろうか。
水槽越しだと色の判別が難しい。赤茶色のように見えた。
陸のカメとは大きく異なり、薄く滑らかな形をした甲羅は大人が一抱え出来るかどうか、そこから突き出た頭と手足は甲羅の中に引っ込められそうにもない。
前足はやや湾曲したヒレ状で、ひとかきすれば水中を飛ぶように進む。
……この背中に人は乗ることが出来るだろうか。
御伽草子にあるように、きっちり座るのは無理そうだ。
しがみつけばどうにかなるかもしれないけど、カメにとってははた迷惑な話だろう。
でもまあ期待した以上の大きさに、胸ポケットのスズは目を輝かせているから、そんな疑問は些事に過ぎないか。
水の中でも物が良く見えるようにか、ウミガメの目は大きい。
黒々とした瞳は感情こそ読み取れなかったけど、穏やかで優しげな印象だった。
「5歳でこれくらい……じゃあまだ成長しそうですね」
「80年くらい生きるのか。さすがにカメは長生きだな」
「万年、とまではいきませんが」
「人間からしても長寿ってことか」
ちょうどご飯時だったようで、水槽の上から与えられるキャベツなどの野菜に食い付くウミガメ。
後ろの入り江でも声が上がる。
飼育員さんがバケツに入った餌を撒いていた。
撒いた端から小魚が飛び跳ね、海面が騒ぐ。
「うわあ……」
頭の上から照りつける太陽が、複雑な水の揺らぎを浮き立たせる。
餌に沸き立つ魚たちの興奮が移ったかのように周りで子供達が歓声を上げた。
つられたように新たに足を浅瀬に踏み入れる人達もいた。
その中で背の高い人影を見つけて、俺は思わずぽかんと口を開けた。
「……笠松さん」
「ああ」
隣の笠松さんも目がまん丸になっている。
俺の言いたいことを察しているのか、こくこくと小刻みに何度も頷いた。
どうにも見知った顔がいるように見える。
唖然として見ている俺達には気付いていないのだろう、ケラケラと高くよく透る、これまた聞き覚えのある笑い声が風に乗って聞こえて来た。
やっぱり居たか、という低い呟きは笠松さんのもの、辟易とした調子だったけど、口元は困ったように笑っていた。
「委員長も原田先輩も楽しそうですねえ」
「……そうだな」
原田先輩に抱きかかえられた神岡委員長が、大笑いしながら原田先輩にしがみついている。
ひとり足を濡らした原田先輩も、神岡委員長を振り回すようにぐるぐると回っている。
珍しく前髪を上げた原田先輩も、満面の笑顔を浮かべて自分の腕に抱え上げた委員長を見上げていた。
「何してんだかあの人達は……」
笠松さんが呆れた様に言うのもお構いなく、周囲からの囃し立てる声も意に介さず、ただただふたりは楽しそうに笑っていた。
傍若無人とも呼べる振る舞いに、それでも全力で楽しんでいる姿に、ふつふつとおかしみが込み上げてきた。
先輩がじゃれ合っている姿を見て笑うのは失礼かと思って笠松さんを見上げると、こちらも込み上げる笑いに苦心しているようだった。
しかめっ面をしていても鳶色の瞳が笑っている。
「これは、見なかったことにした方がいいんでしょうか」
「……かもな」
「それじゃあそっと退散しましょうか」
そうっとカメの水槽の裏を回って、歓声を背に人工の入り江を後にする。
水面の輝きの残滓が、まだ目の奥で眩しさを放っているような気がした。
とても綺麗な輝きだった。
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