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「ほー……深見んとこは活動が幅広いな」
サングラスの奥で神岡が大きな目を見開く。
後輩ふたりを監視する筈が、彼らを目視出来ていたのはほんの序盤のみで、あとは完全に見失っていた神岡と原田である。
神岡は流石の切り替えの速さで、見失ったのなら仕方ないと割り切って展示に集中している。
こんな事なら最初から別の日で予定を組み直した方が良かったんじゃないかと思わなくもない原田だったが、神岡自身は充分楽しんでいるようなのでひとまず胸をなで下ろしていた。
出来ることならこのまま笠松らとの接触は避けて、お互い何事もなく水族館を通過したい。
解説のパネルを眺めながらすたすたと歩いて行く神岡が、ふと足を止めた。
「……波の音がする」
外界へと繋がる通路へ顔を向けて、ぽつりと呟く。
屋内での展示が多いイメージだが、この水族館は順路の合間に外へと出る場所があった。
もちろん外へ出ることなく館内を回ることも可能だったが、どことなく重く静謐な雰囲気の漂う深海の世界を見た後では、陽光の眩しさがいつも以上に強くぬくもりを感じられるようだった。
小学生程度の子供の明るく高い声に混じって、ちゃぷちゃぷと水の跳ねる音、そして規則的な波音が聞こえていた。
室内から様子を窺うと、丸い形をした人工池のようなものが確認出来た。
浅瀬、磯の地形を模した展示で、自由に入れるようになっているらしい。
「ヨウ、」
「駄目だ」
しばらくその様子に気を取られていた神岡が全部言い切る前に原田は首を横に振った。
恨めしげに神岡が原田を振り返る。
「……まだ何も言ってないだろうが」
「何を言いたいかなんて分かる」
「……」
「足にまで日焼け止め塗ってないだろう、ユキ」
「塗ってても駄目って言うくせに」
むっと唇を尖らせた神岡がそっぽを向く。原田は溜め息を吐いた。
分かりやすい。
神岡の様子から水遊びしたいことくらい見てるだけでも伝わってきていた。
体質のために学生特有のイベントへ参加してこなかった神岡は、自分なりに折り合いを付けながらもそれらに対する憧れもずっと持ち続けていた。
何故自分だけ、と理不尽に対しての恨み言を聞いたことはない。
ただ、羨望と諦めの混じった目で陽差しに肌を晒す人々を眺めていたことを原田は知っていた。
だから、今日神岡から双子庶務の発明を聞いたときは嬉しかったのだ。
行きたい場所へ行きたい時に行ける。それが叶うのだ。
「もう少しの辛抱か」
「……ふん。研究が成功すれば、だからな。ぬか喜びになる可能性は大いにある。期待しすぎるなよ」
「期待するくらい良いだろう。期待するから出資するもんじゃないのか?」
「過度な望みは持つなということだ。最初から成功することを確信しているわけじゃない。正直ボクが生きている間に形になれば御の字といった感じか。技術革新なんて好奇心と時間と金がなきゃ進まないぞ?」
肩を竦めて神岡がうそぶく。
軽口を叩きながらも唇は尖らせたままだし、眩しそうに細めた目は外へと向かいっぱなしだ。
人工の海で遊ぶことがもうすぐ出来るようになるかもしれないと思うだけに、諦めがつかないのかもしれない。
……いや、単に眩しいだけか。サングラスで目を守っていても、神岡にとっては刺激が強すぎる光だった。
「ユキ、先に──」
そろそろ順路の先に進んだ方が良いだろうと、口を開いた原田は言葉を途切れさせた。
外に、見知ったふたりがいる。
特徴的な長い黒髪を結った姿とその隣に並ぶ栗色に近い茶髪。
春明と笠松である。どうやら追いついてきていたらしい。
人工の海に入らず、脇にある水槽を眺めている。
「ヨウ?」
いぶかしげに目を細めたままの神岡が原田を見上げる。
神岡には彼らの姿が見えていないようだ。
だが、このまま先に進めば結果的に鉢合わせするだろう。
……さて、どうするか。
原田は一瞬悩んだ。一瞬だけ。
神岡の手を取り、原田は明るい外へと踏み出した。
「──おい!?」
不意を突かれた神岡が声を上げる。
頭に強烈な陽差しの熱が降りかかる。
こんな場所に神岡を引き出すなど、暴挙にも等しい行為だ。
信じられないものをみるような目付きで原田を見る神岡は、原田が靴を脱ぎ、靴下を放る姿に目を剥いた。
「お前何やってんだ?」
「この際だ。とことんやってやろうかと思って。恥ずかしさなんて無視だ、無視」
「はあ?」
「いくぞ──舌噛むなよ!」
「ちょっ、嘘だろ!?」
神岡の両脇に腕を回し、強引に持ち上げる。
目を白黒させながらも神岡が首筋にしがみついたのを確認した原田は、そのまま水の中へと足を突っ込んだ。
「馬鹿じゃないのかお前!なにやってんだ!?」
「海にはいってみたかったんだろう?」
「だからって急すぎるだろ……!」
「水は温かいな。足の下の砂も、指の間を透るのが気持ちいい。身体も少し沈む感じがする。分かるか?」
「分かるか!もうちょっとゆっくり歩け!ていうか止まれ!」
ぎゃあぎゃあと叫んで首っ玉にしがみつく神岡の指示通りに原田が止まってやると、もの凄い目付きで睨んでくる。
「……急にとち狂ったことをするな、馬鹿が」
「まあ、ユキは水遊びしたいみたいだし、ここら辺が折衷案かと」
「こんな心臓に悪い折衷案があるか」
それでもだんだんと余裕が出て来たのか、神岡の口の端が上がっている。
「随分と思い切ったことをするなあ、ヨウ」
「自分でもそう思う」
「派手にやれば陽動になるからか?」
「……何のことやら」
隠し事をしても神岡には意味がない。人工の海のど真ん中にいれば逃げ出す心配もないので、原田はしらをきることにした。
「ふーん……」
原田の顔をひとしきり眺めて、神岡はにやりと唇を歪めた。
「ま、いいだろう」
そう言って、ぐん、と原田の肩に手を突いて伸び上がる。
一気に原田の目線を越えた神岡は、ほとんど真上の位置から原田を見下ろした。
「ヨウ、教えてくれよ。浅瀬の水温はどれくらいだ?素足に感じる砂の感触はどんな感じだ?魚も触って来てるか?」
「ユキ」
「ボクをここに連れ出したからにはちゃんと伝えろ!ボクを納得させられるんなら何も聞かないでおいてやる!」
逆行の中で神岡が笑う。
とんでもないことを要求してくる恋人に、原田も笑顔で返した。
「5分で納得させてやる」
ちらりと横を見ると春明と笠松の姿は見えなくなっていた。
外にいるのも5分が限度だろう。この時間でなんとか距離が出来れば良いのだが。
暑さもそうだが羞恥で焼き焦げそうだ。
(……だけど、まあ)
こんな楽しそうな顔を見られたのだから結果オーライか。
頭上でケラケラと笑っている神岡を見上げて眩しく目を眇めると、原田はくるりと温かい身体を抱えて一回りしてやった。
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