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良雄、炬燵で寝てないで起きなさい。
まどろむ意識のなかで懐かしい母の声が聞こえる。夢だろうか? 五年前に亡くなった母。
小学生の頃、よくこうやって炬燵で寝てると、母の声が聞こえてきた。
声は耳に入っているが、寝たふりを決め込んでいると母が「仕方無いわねぇ」と俺をおんぶして布団まで運んでくれた。
母の背中は炬燵と同じくらい暖かかった。
今度も寝たふりを決め込む、今はとにかく炬燵の魔力にとりつかれている。目は開かないし、この包まれるような幸福感。このまま死んでもいいと思うくらい。
「良雄、起きなさい、良雄──」
大人になった俺をさすがにおんぶはできないのだろう、少し強い口調で母は言う。
ああ、本当にこのまま寝てしまおうかと、夢の中でまた寝るなんて何か不思議な感じだなあ、なんて思っていると。
「良雄、本当にもう起きなさい、わたしはもうあんたをおんぶすることもできない、こうやって起こすことも最後だろうよ、ほら、早く起きなっ! みんな心配しているよ」
皆が心配? 何のことだ、俺は眠い目を開け母の姿を探す、寝転んだまま背後に眼をやると、懐かしい母の笑顔があった。
「懐かしいなぁ母ちゃん」俺が言うと、母の背後がまばゆく光り、その中にゆっくりと消えていった。
「──あなた!」
肩に置かれる暖かい手で、俺のことかと気付く。
「あなた! あなた──」
そんなに近くで叫ばなくても聞こえてる。俺はゆっくりと目を開けると、口元に手をやり涙を流す妻がいた。
「田口さん! 分かりますか──」見知らぬ男の声が聞こえる。
周りがあわただしくなり、なんだか落ち着かない、そばで男が妻に「もう、大丈夫です。峠は越えました」とかなんとか言っている。
俺は目を閉じ、久しぶりに見た母の笑顔を思い返していた。
見知らぬベッドで目を覚ます。横には目を腫らした妻。
──俺は事故に遭ったらしい、昨夜は死にかけてたとのことだ。
隣に座る妻に俺は言う。
「退院したら、炬燵を買いに行こう」
母の暖かさを忘れないように──
妻は、こんな時になに言ってるのと、泣きながら笑った。
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