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「りんごちゃん、これ兄ちゃん、喜ぶ?」
「きっと、大喜びだよ」
「ふへへ……」
白い頬が本物の林檎の様に色付いて恥ずかしげに笑う晴世は、その林檎の薔薇のケーキを実兄にプレゼントしたいのだそうだ。
「今日はお兄ちゃんは?」
「ん、多分もうすぐお仕事」
晴世はオーブンの中を気にして半ば上の空でそう答えた。
学校帰りの夕刻に小一時間、晴世に菓子の作り方を教えていた鈴悟は、今から仕事と聞いて「夜の仕事か」と小さく零した。
「お父さんとお母さんにはあげないの?」
「お父さんは、いなーいの。お母さんはとーくにいるの」
「そ、そっか……」
母親が遠くにいると言うのは、家の都合で兄弟で暮らしていると言う事だろうか。
でも晴世は七歳で、兄と言ったって一体いくつなのか?
そんな取り留めのない事を考えて、要らぬ詮索をするまいと鈴悟は頭を振った。
そして、想いも寄らぬ事態が起きる。
晴世の兄が帰りが遅い事を心配し、探しに来てしまった。
その姿を見て、鈴悟は喋り方を忘れた様に言葉が出なくなってしまう。
「晴世、今日だけだからな。明日からはまっすぐ帰って来るんだぞ」
「……はい」
「明日、兄ちゃん仕事でいないんだからな。約束破ったら、怒るからな」
「……うん」
あの北園茨が、今、目の前でケーキを食べている。
彼は小学校一年生の冬休み前に転校して来て、男子からは足が速いと持て囃され、女子からは格好いいと評判で、鈴悟の目にはそれが孤高の一匹狼みたいに見えていた。
犬の様に媚びる姿勢は全くないのに、どこか人目を惹く茨はしなやかな獣の様な魅力があって、同じ子供なのに酷く大人びて見えた。
あの頃、チビでグズで、もやしっ子だった鈴悟も、今はそれなりの体格になっていたが、茨が自分に気付いていない事に心底安堵する。
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