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弁当を抱えて廊下を走る。人の流れに逆らって進むこの感触が快感になってきたのは、つい最近のことだ。
木製の扉の前で、少し髪とネクタイを整える。磨りガラスに自分の姿は映らないが、すっかり癖になって、先日も幼馴染みに笑われたところだった。
あとは、深呼吸をして。目の前のドアをノックするだけ。
「どうぞー」
ドアノブを回して、その奥にいるだろう幼馴染みを呼ぶ。
「ホシ-、お前今日弁当忘れたって、おばさんから....あれ?」
カバンは開けっ放し、テーブルの上には大量の資料が広げられたまま。
それでも、肝心の本人の姿はない。
「矢吹くん、こんにちは」
「こんにちは」
挨拶されるまま返したのはいいものの、今の状況に気づいて、体が強ばるのを感じた。
宮地さんとっ.....二人っきり.......!!
「葵ちゃんなら、2時間くらい前に猫を追いかけていったよ」
「ネコ?」
思わず、はあ?と言ってしまいそうだ。
この場でネコと言われて思い出せるのは、あの庭に姿を見せていた黒猫くらい。
せっかくの猫缶をムダにした恩知らずだ。
「うん、なんかね...」
二人っきりとかそんな状況より、宮地さんの話を聞こうと冷静になれた時。
ガチャリ。扉が開く音だ。
誰だ?
思わず宮地さんを隠すように立ったのは、たぶんこの部署を見る社員の目を知っているからで。
ここにホシがいたら、格好つけて なんて笑うだろうな。
あいつは昔からそんなヤツだった。逆にいじめっ子から守ってもらってました、なんてカッコ悪くて言えやしない。
「すまないな、逢い引きの邪魔をするつもりはなかったんだが」
「あっあいびっ」
「あっいやっ、そんなのではなく」
「逢い引き」の文言に驚けばいいのか、きっぱり否定されたことに落ち込めばいいのか。
正解はどちらでもない。
「しゃ...社長は、どうなさったんですか」
「きみは?」
そんな純粋に首をかしげられると、いくら大企業の新入社員でもヘコむ。あんなに緊張して会議に出席した数日前の自分が、悲しくなる。
この社内にも何百人と人がいるのだ。当然のことであっても、まだそこまでメンタルは強くない。
「冗談だよ。経理部の矢吹くんだね」
「はっ、はい!」
いや、これは素直に嬉しい。一生自慢にできる。うん。確実。
「星野さんいるかな?」
「いえ...」
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