2人が本棚に入れています
本棚に追加
一方、「季節」といえば何か。
桜の季節はとっくに過ぎて、あのピンク色は地面にも見えない。
梅雨入りはもうすこし先だろうし、夏はさらにその先。
「季節...」
「まだ春なんじゃないですか」
「!」
急に声をかけられた。
声にならない声。表現することを許されるなら、使うべきは今だ。
「申し訳ありません」
もう頭を下げるのは面倒になったのかと見下ろしてみれば、着席して優雅にティータイムか。
今の状況や服装には、どうしても似合わない。
でも、そんな様子を見ていると、懸命に走ってきた私の方が場違いな気になってくる。
「どうぞ」
促されるまま、向かい合って席に着く。
すぐに右手を挙げて店員さんを呼ぶのを見て、もう考えることをやめたくなる。
「紅茶でいいですか」
走ってきた私としては、水だけで十分なのだが。
いや、今はそこではなく。
「私、手持ちがないので」
「いいですよ、経費で落としますから」
「...ソウデスカ」
ということは、目の前で美味しそうに飲まれているそれも、会社持ちということか。
この男性にとって、「猫の面倒を見る」という業務の上で必要経費に...あれ?
とにかく、トンデモナイ会社に入ってしまったということだけは確かなようだ。
「それにしても、どうしてここに?」
無愛想な店員さんから紅茶を受け取る。
辺りを見回してみるが、黒の塊は見当たらない。
もしかしてこの人、とんでもなく嫌われているのでは?
「このお役に預かったのは、時雨を比較的扱えるからですよ」
「...ソウデスカ」
まずい、顔に出ているらしい。
舌打ちしたい衝動を、紅茶で流し込むことにする。
「時雨は特に人間の好き嫌いが激しい質ですから。あなたほど懐かれる方が稀なんですよ」
自分では、懐かれているとは思っていない。でも社長達の反応を思い出すと、そう見えるのだろうか。
それにしてもこの男、想像以上に私のことを知っているようで、不気味だ。
しかし考えてみれば、時雨の面倒を見ていたこの人が、「いつかの昼休みに煮干しをばらまいていた女」を覚えていてもおかしくはない。
「面倒を任されているなら、社内に猫用の設備を設けてしまわれては?」
社長の愛猫を追う人間の紅茶代まで経費で落とせてしまうのだ。
ランニングコストや社長の精神面を考えても、はじめから自分の手元で飼い慣らした方が、よほど易しそうだが。
最初のコメントを投稿しよう!