まなびや東風 <試し読み>

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 「奥の間」の中ほどに目をやると、そこだけは畳の上に絨毯が敷かれ、革張りのソファと木製のローテーブルがしつらえてある。骨董品店で発掘したらしい、年季の入ったものだ。縁側からの陽光がやわらかに差し込む中、そのソファには今、一人の人間が背中から倒れこむようにして眠っていた。少しくせのある黒髪に、紺色の着流しを着た大男。  やっぱりここにいたか。  彼こそが、玄関に脱ぎ散らかっていた下駄の主だ。そして。  何を隠そう、この一風変わった学習塾「まなびや東風」の代表者でもある。名を、陸奥龍之介という。  現代日本において下駄や和服を普段使いしている人間がいることに、最初のうちこそ巧も驚いたものの、今ではもう慣れてしまった。代表者自らが、このような格好で庭箒を持って玄関先を掃除したりするものだから、ここを何かの道場か書道教室と間違えて入門を願い出に来る大人も多い。が、それは仕方のないことだ。この建物とこの男を見て、ここは子ども向けの学習塾だと最初から即答できる人間の方が稀有だろう。  巧は一歩、部屋の中に足を踏み入れる。板張りの床から一転、畳の柔らかい感触が足裏にくすぐったい。  ソファの前にあるローテーブルには、進路指導用の資料や高校のパンフレットが散乱し、あちこちに走り書きがされている。その傍らにある大きなマグカップには、ブラックのコーヒーが少しだけ残っていた。巧は嘆息する。昨夜は一体何杯飲んだことやら。 「塾長」  じゅくちょう。ここで働くようになるまでは、ついぞ聞いたことのなかった肩書だ。  巧からの呼び掛けに対し、相手――陸奥からはくぐもった返事が聞こえただけであった。起きる気配はない。やれやれと、巧は肩をすくめた。ソファに近付き、横たわったままの陸奥の顔を覗き込む。 「塾長ってば。こんなとこで寝てると風邪ひいちゃいますよ」  その言葉に、目の前の大男はぴくりと体を反応させる。僅かに寄せられる、眉間の皺。
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