4 佐久嶋

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4 佐久嶋

 やはりあの夜刺し殺しておけばよかったのかと、かなり物騒なことを考えながら、俺は向かい合って座るバカでかい男を見つめていた。 「さあ、食べましょう」  にっこりと笑顔を浮かべている藤野のアホ面。  この顔だ。この顔がいけない。どこか懐かしくて、親しみがあって、この顔で何か頼まれるとなぜか嫌だと言えなくなってしまう。だから、困る。  秘密をばらされるのが怖かった訳ではない。そもそも秘密なんて仰々しいことではない。単に職場の人間に知られると面倒だから、話していないだけのことだ。  それなのに、結局藤野が待つN駅へと向かってしまった。連絡先も、なんだかんだと丸め込まれて教えてしまった。そして今日は貴重な休日だというのに、ちゃぶ台を挟んだ俺の前にアホ面が座っている。  アホ面は俺のアパートに押しかけた挙げ句、ご丁寧にも食材を山のように持ち込んで、まったくと言っていいほど使われていない台所に颯爽と立つと、料理を始めたのだった。 「俺もひとり暮らしで、ひとり分作ってひとりで食べてもむなしいだけだから、毎週水曜日はここで料理作って、俺と一緒に食べてもらえたら嬉しいっす」  と、なんとも身勝手な言い分に抗議する間もなく、藤野はまな板と包丁を洗ってリズミカルに野菜を切り始めた。  トントントンという音がこの台所に響くのは、一体何年ぶりのことだろう。  懐かしさと、あたたかさと、切なさと、いろんな感情がごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。  藤野は手際良かった。使われていない鍋やフライパンを洗っては、てきばきと料理をすすめていく。その動きがひどく懐かしくて、俺は黙ったまま、そんな藤野の背中を見つめていた。
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