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俺の言葉を完全に無視して、藤野が喋り出した。
「ちゃんとみんなに言えばいいじゃないですか。根も葉もない噂で話のネタにされるより、ずっといい」
「へえ。例えば、どんな?」
「愛人とバカンスだとか、隠し子の世話だとか。夏場は歌舞伎町で荒稼ぎしてるとか」
「歌舞伎町話は初耳だな」
「噂されてるって知ってるなら、なおさら言うべきです」
「お前には関係ない」
自分でもびっくりするくらい、冷たい声だった。藤野の身体が、びくりと揺れる。
「でも、」
「もう、帰れ」
俺はベッドに転がり、藤野に背を向けて丸くなる。
「……分かりました」
「いろいろ、世話かけたな」
「みんなには黙っておきますから、今度の定休日、俺とデートしてください」
「……はあ?」
「今夜の世話代です。佐久嶋さん、見た目細いくせに結構重かったんすよ。デートくらいして貰わないと、俺報われない」
「デートとか、気持ち悪い表現はやめろ。普通に飯奢れって言えばいいだろ」
「違います。俺がしたいのは、デート。でもって俺はいま、佐久嶋さんのこと脅迫してるんです」
「……脅迫だあ?」
聞き捨てならない言葉に、俺は身体を反転した。
いつの間にか立ち上がった藤野が、ベッドサイドから俺を見下ろしている。その視線がやけにぎらついていて、身の危険を感じた俺は、とっさに身体を硬くした。
「秘密、ばらされたくないんでしょう? それなら、ちゃんと俺の言うこと聞いてください。……俺と、デートして」
俺の睨みをはね返すような、まっすぐな視線が、降ってくる。
「俺、佐久嶋さんのこと、好きです。だから本気で、佐久嶋さんとデートしたい」
そう言い放った藤野の身体が、スローモーションのように倒れ込んでくるのを、俺は身を固くしたまま、ただ見つめていた。
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