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ありったけの力でぐいぐいと胸元を押しているのに、引き剥がせない。両脚まで動員して俺の上にのしかかった藤野から逃げだそうとするも、がっちりとホールドされて、まるで歯が立たなかった。
腕力には自信がある。それなのに、だ。
つまり藤野が無駄に大きくて、とんでもない怪力なのだ。
「お願いです。……もう少しだけ」
情けない声でそう叫ぶ藤野は、俺の首筋に顔をうずめて、深呼吸を繰り返している。
スーハーと静かな部屋に響く呼吸音が、なんとも変態くさくて、不気味だった。
「いい匂い。……俺、この匂い大好き」
さらに深呼吸を重ねた後、「佐久嶋さんの匂い、たまんないっす」と、耳許で囁いてから、ようやく藤野は俺の身体から離れた。
目力を総動員して、ぎっと藤野を睨み付けるが、当の本人はまるで気づかず、夢見心地な表情でにやついている。
「ごちそうさまでした。お腹いっぱいです。これで明日も頑張れる。いや一週間は頑張れそう。……あ、でもデートは約束ですからね。楽しみにしてます!」
「……お前、背後に注意しろよ」
「え?」
「なんかのはずみで、うっかり刺してしまいそうだ」
ぼそぼそとつぶいた俺に、「佐久嶋さんになら刺されてもいいっす」と、いやらしい顔で言い放って、藤野は俺のアパートから軽い足取りで去って行った。
「……まじで殺してやる、あいつ」
そんな俺の憤りを嘲笑うように「水曜日の夕方五時に、N駅前で待ってます」と書かれたメモ用紙が、机の上にしっかりと置かれてあった。
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