1 藤野

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1 藤野

   ふいに落とし穴に嵌まったように、すとんと、ああ今俺は恋に落ちたのだと自覚した。そんなことは二十年生きていて初めてのことだったから本当にびっくりしたけれど、とにかく俺はその瞬間、佐久嶋景(さくしまけい)に、恋をしたのだった。  きっかけは、俺が一ヶ月前からバイトしている「前田電器店」の飲み会でのことだった。  その場に何の前触れもなく、佐久嶋さんが現れたのだ。 「お前、まだ続いてたんだな」  その冷たくすら見えるうつくしい顔に、うっすらと笑みを浮かべている。  やっぱりキレイだよな、と見惚れていたら、「アホ面でじろじろ見んな」と頭を叩かれた。  佐久嶋さんはバイトを始めた最初の三日間、俺にマンツーマンで指導してくれた恩人だ。  初めて佐久嶋さんを見た時、あまりのうつくしさに俺は口をぽかりと開けたまま、呆然としてしまった。  雑誌で見る俳優やモデルよりもずっと、小さくて整った顔立ち。目元に影を落とす、長い睫毛。作業着で隠れていてもなお分かる、長い手脚。長めの髪は白金色で、後ろで無造作に束ねてあり、その首筋の辺りがなんともセクシーだ。低く掠れた声も、男の色気がむんむんと漂ってくる気がする。  そんな壮絶にうつくしい佐久嶋さんは、壮絶に恐ろしい人でもあった。 「てめえ、このアホが!」  ことある毎に、俺は佐久嶋さんの怒声を浴びせられた。もちろん、俺のミスが原因なのだが、それにしてもアホアホ言い過ぎだ。  でも、アホと言われているうちはまだ良い。俺がどうしようもないミスを犯すと、無言で凍り付くような冷たい視線を投げつけられる。身体中の血が一瞬で固まってしまうようで、その時ばかりはさすがに落ち込んでしまった。  だがそんな佐久嶋さんのスパルタ教育のおかげで、俺は三日間で一通りの仕事をこなせるようになった。力仕事だからすこしの気の緩みが大きな事故へと繋がることは容易に想像出来たし、アホアホ言い過ぎとは言え、佐久嶋さんの指導は理にかなっていたと思う。  それに、仕事中の佐久嶋さんは颯爽としていて本気で格好良かったから、俺はすっかり佐久嶋さんのファンになり、出会ってからたった三日間とは言え、もはや憧憬の念すら抱いていたのだった。
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