心の声

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心の声

 いつからだろう。他人の心の声が流れ込んでくるようになったのは。  駅で見ず知らずの人とぶつかった。その際、お互い軽く会釈をし合って行き過ぎたけれど、その時にはっきりと、『とろとろ歩きやがって。死ねよ』  そう俺を罵る声が聞こえた。  以来俺には、何かの弾みで人の声が聞こえる。  聞こえるのは全部、悪意や敵意といった負の感情の声ばかりだ。  どんなにニコニコしている人デモも幸せそうな声はまるで聞こえず、必ず悪感情の声だけが響いてくる。  否応なしにそんなものを聞き続け、心身共に随分と衰弱させられたが、近頃はよほど強い悪意や害意でない限り、たいていの声を聞き流せるようになった。  …だから尚更、アイツの声が聞き流せないんだ。  毎朝会社へ向かう途中の駅で、電車待ちの時間に見かけるだけの男。  見かけはごく普通のサラリーマンといったいで立ちで、電車の到着をただおとなしく待っている。  でもそいつが撒き散らす心の声は最悪だ。  誰かとちょっとぶつかって、その一瞬悪感情が湧いたとか、仕事に不満があって職場の人間に常に恨みを抱えているとかじゃない。目につく総てが憎悪と嘲りの対象で、強すぎる悪意と害意は棘のように俺の精神に突き刺さってくる。  そいつの心の声は聞きたくない。そう思い、通勤時間をずらしたりしてみたが、早い時間に通勤しても今度は遅めにしてみても、何故かいつもそいつは駅にいるのだ。  サラリーマンぼい格好をしているが、勤め人ではなく、毎朝ただ駅に来て、周囲に不満の気持ちを撒き散らしているのか? だとしても、ただ心で思うだけなら、俺のような人間じゃない限りそいつの不満は判らないから、利益になることなど何一つないだろう。むしろ不快で堪らない人混みに身を晒していたら、ますます世間への悪感情が募るだけだ。
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