12 - 北方を荒らしまわっていた

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12 - 北方を荒らしまわっていた

 北方を荒らしまわっていた罪人を捕らえたと聞いたとき、ブルジュ伯爵はこれで問題ごとがひとつ減ったと安堵した。  しかし事情がそう単純でないのは、後にすぐ判明した。  罪人をとり調べていた尋問官が血相をかえてとびこんできたからだ。  「罪人は、いや、あ、あの方々はマラティヤだそうでして……」  「マラティヤだと」  ブルジュ伯爵は思いがけない単語に頭をひねってしまった。  マラティヤがオルルッサ大陸にいるらしいという話は知っていた。  しかし、どうまちがえばマラティヤと人殺しを誤認するというのだろうか。  そういえば、と彼は思いかえす。  今期のマラティヤにはスィナンの一族が選ばれたらしい。  半信半疑だったが、それが本当だとすればありえないことではない。  「方々と言ったな。マラティヤは二人そろっているのか」  「そのとおりでございます」  「では、わたしが直接話をきこう。ここへお連れしろ。拘束などせず丁寧にもてなせ」  「は、はい」  尋問官は大汗をかきながらしりぞいた。  すでに手遅れだった。  法術でさんざん痛めつけたうえ束縛して横柄に尋問したあとになって、どうやら本物のマラティヤらしいと判明した、あの瞬間。  いちべつしたスィナンの凍りつくような殺気が、尋問官に多大な精神的負荷を与えていた。  しばらくして侍女に先導され現れた青年二人に、ブルジュ伯爵は多くの人がそうであるように、しばらく見呆けてしまった。  あたりが一段明るくなったかのような華のある青年を、彼は見たことがある。  「あなたはまぎれもなくシヴァスはシャルキスラ家のご子息。どうかご無礼をお許しいただきたい」  「そちらの名前をまだ聞いていないが」  「これは失礼を。わたしはジェーイ・ブルジュと申します。五代前から伯位を授かり国政にたずさわっております。もう十年近く前になりますが、シヴァスの宴であなたを拝見したことがありましてね」  「ブルジュ伯というと……メユヴェ王女のご夫君の筋ですか」  「それをご存知とは」  ブルジュ伯爵が感嘆の声をあげたのは大げさな反応ではなかった。  しかしシヴァス人の青年は知識をひけらかしたかったわけではなく、自身の記憶を反芻しただけで他意はないらしい。  「俺たちの待遇が改められたということは、誤解はとけたと思っていいんですね」  質問というより事実の確認をするように強い口調でアイディーンはきりだす。  彼の直截な物言いも語気の強さも、スィナンの青年の冷遇に起因していた。  尋問されていたときの扱いの悪さはアイディーンも同様だったが、それを別にしてもカシュカイに対する処遇は恐れと憎悪がおりまぜられた理不尽なものだった。  マラティヤだとわかったところで、その差は微々たるものにすぎない。  〈スィナンの一族〉という存在が与える人々の心理への負荷をアイディーンはもちろんよくわかっていたが、ひどく腹だたしく感じるのは世間一般への理解とはまったく関係のないことだった。  大地のマラティヤの厳しい姿勢に、ブルジュ伯爵は誤認捕縛してしまった引け目と、その事実がビジャールやシヴァスに知られたらという体裁の悪さで、あくまでもへりくだった態度をみせる。  「もちろんマラティヤが人々に害なすなど考えられません。たとえそれがスィナンの一族であっても、シャルキスラのアイディーン殿が証人とあれば疑うべくもない。  愚かな兵どもが犯した無礼、お怒りはじゅうぶん承知しておりますが、凶事のさなかゆえスィナンにおびえる市民の心情もどうかくみとっていただきたい」  丁重に赦しを請うているようにみせかけて、じつのところ礼を欠いた口上を聞きながら、アイディーンはこの人物に感情的になったところでなんの利もないと、早々に見切りをつける。  「その凶事ですが、北方でスィナンが暴れているそうですね。しかし俺たちが集めた情報を考慮しても、騒ぎをおこしているのは十中八九魔族でしょう。一般人がスィナンだと誤解するのはしかたありませんが、王宮の兵までそれを鵜呑みにしているのはどういうことですか」  「王宮はこのところ多事に見舞われ、末端まで連絡がゆきとどかないのです。いえ、もちろん大げさな話ではなく一時的な問題ですが」  「では早急に元凶が魔族であると通達を。それに相手が魔族なら、それこそ俺たちの管轄になります」  暗黒(カラバー)期のもと、各国には魔族の出現情報を迅速に主国へ報告する義務がある。  それを野放しにしていたデニズリへの不審を、アイディーンはつのらせていた。  しかし、いまは一刻もはやく元凶の地へ向かうべきだ。  そう口を開きかけたアイディーンをさえぎったのは、勢いよくあけられた扉の音だった。  「ごきげんよう、皆さん」  室内の者たちの注目を一身に集めたメユヴェ王女は、にこりともせず型どおりのあいさつをし、それから異国の二人の青年を見る。  「殿下御自らこのような場所へ」  面くらった反応のブルジュ伯爵の言葉に、アイディーンは腕を胸にあてて礼を示し、カシュカイはさらに膝をついて拝した。  「あなたがたがマラティヤなの」  「初めてお目にかかります、殿下。大地の神カースより加護を得ております、アイディーン・シャルキスラと申します」  大地のマラティヤの自己紹介に、王女は目を細めてみせる。  「あなたがシヴァスの騎士宗家のご子息、噂どおりの美丈夫ね。ああ、大気のマラティヤのことはよく(・・)知っているからあいさつの口上は必要ないわ」  打ち捨てるような王女の一言を受けて、カシュカイは沈黙を守った。  彼女は室内の一同を見まわすと「それで」ときりだす。  「マラティヤに無礼な働きをした者があったという報告だったけれど、問題は解決したと思っていいのかしら」  「はい、わたしからお詫び申しあげていたところです」  「では、わたしからもお願いするわ。お互いにとって不幸なこの騒動に対して、シャルキスラ殿が寛大であることを」  ブルジュ伯爵の言葉を含んで王女はアイディーンへ言った。  それは願うというより要求しているのだった。  「北方での騒ぎの正しい情報を、王宮が積極的に周知してくださるなら」  アイディーンは婉曲に答え、王女もそれに応じた。  しかし彼が北方へ魔種狩りに行くと告げたとき、はやくも協力体制はくずれてしまった。  「もちろん、魔種狩りはマラティヤの重要な役目でしょう。でも、大気のマラティヤを自由にする許可は与えられない。北方での騒動の主が確かに魔族だという証拠はまだないのだから。わたしは大気のマラティヤを、マラティヤだからという理由で全面的に信用はできないの。  もしシャルキスラ殿が北方での犯人は魔族だと確証をもっているのなら、あなたひとりで行ってその証を示してもらうわ」  メユヴェ王女はカシュカイを疑っているも同然の発言をした。  「シャルキスラ殿が戻るまで、大気のマラティヤには王宮にとどまってもらいましょう」  「殿下はマラティヤの任をそれほど軽んじておられるのですか」  アイディーンは静かに、しかし強く言った。  「暗黒期のマラティヤに課せられた責務の重さを、俺たちは嫌というほどわかっています。マラティヤが人間を害することなどできないと承知していながら、あえてカシュカイに嫌疑をかけるのですか」  「わたしはシャルキスラ殿を全き神の御子と信じているけれど、どんな称号を得たところでスィナンはスィナンでしかありえないわ。正直なところ、この地に足を踏みいれたことすら穢らわしい。いままさに暴虐にさらされている北方の地へ行けば、その理由の一端を知るでしょう」  「――名は」  「バシュカ」  それまでひたすらじっと沈黙していたカシュカイが、かすかに身じろいだ。  いや、アイディーンがそんな気がしただけで確証はなかった。  カシュカイはいつもどおり表情のない顔を伏せ気味にしている。  「わかりました。バシュカへは俺ひとりで向かいます。ただし、俺が戻るまでカシュカイになんの危害も加えないと約束していただきたい。指一本も彼には触れないと」  「約束するわ」  王女はたやすく答えた。  「では、すぐに発ちます。……カシウ」  主の呼びかけに、青年ははっと顔をあげた。  アイディーンは先ほどまでの厳しい表情をやわらげて言った。  「すぐに戻るから、ここで待っていてくれ」  カシュカイが「申し訳ありません」とつぶやくのが聞こえて、アイディーンは痩せた肩に手をおいてなぐさめた。
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