05 - アイディーンとカシュカイが

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05 - アイディーンとカシュカイが

 アイディーンとカシュカイが宿をとっていたデニズリ南部の街、デルスやカズビンとの国境近くは治安も良く住人の様子も常時と変わらなかったが、北上すると異変が感じられた。  事件や騒動があるわけではないが、人々の往来が乏しく活気がない。  マラティヤの二人はデニズリの内陸部へ足を踏みいれてから不穏な空気をずっと感じ続けていたが、一度魔獣の群れと遭遇してからというもの魔獣を見ない日はなくなり、本格的に魔属の大量発生を実感することとなった。  ――何体目かもさだかではない異形の獣を倒したカシュカイが顔をあげると、雑木林の先でアイディーンが最後の一頭を始末したところだった。  彼は呼吸を乱すこともなく、周囲に瘴気がないのを確認すると、カシュカイのもとへ戻ってくる。  「人里からちょっとはずれただけでこれ(・・)だ。バハールまでは、街道を行くほうが早いかもしれない」  デニズリの首都バハールへ向かう二人は、暗黒(カラバー)期にかぎらず普段から魔獣がでるという森を貫くさびれた旅道を直進していた。  通常は森を大きく迂回して敷かれた街道を使う者がほとんどだが、距離は旅道のほうが半分近く短い。  しかしこの時期に、しかもデニズリ各地での魔属大量発生という異常事態のなかでは、無尽蔵にわく勢いの魔獣を相手にしながら進むのは骨が折れた。  「ここから西へ行けば、街道にでられそうだな」  地図を確認していたアイディーンの顔が、不意に険しくなった。  ほぼ同時にカシュカイも何者かの気配に気づき、右手の岩壁の下へ意識を集中させる。  瘴気はなく人間らしかったが、姿を現そうとしない。  アイディーンたちは魔獣相手に大立ちまわりをしていたので、こちらに気づいていないということはないだろう。  不審を感じてカシュカイは迷いなく捕縛の法術を唱えようとしたが、アイディーンに制せられて掌相を解いた。  アイディーンが崖に向かって呼びかける。  「俺たちは魔種狩りの法術士で怪しい者じゃない。ここは魔属の巣窟になっていて危ない。迷ったならふもとの街まで送っていこう」  声はじゅうぶん届いただろう、しかし人の気配が動きをみせないので、盗賊かなにかかと警戒しはじめたとき、繁みを緩慢な動きでかきわけて男が姿を現した。  「――法術士、というのは本当か」  問う声が警戒に満ちている。  「そうだ。怪我をしているなら治癒もできる」  男が痩せているというよりやつれた姿をしているのを見てアイディーンが言うと、逡巡する様子ながら男は答えた。  「連れが……腕を怪我しているんだ。診てもらえるだろうか」  「わかった」  アイディーンは相手を怯えさせないようカシュカイを残し、ひとりで草間を縫って男のもとへ歩いていった。  大岩の陰に背をあずけて意識もなくうなだれていたのは少年だった。  右腕に布が巻かれているが、あまり清潔ではない。  「魔属にやられたのか」  「いや、盗賊……のような奴らだ。この森で迷ってでくわした。なんとか逃げたが、薬もないし治療もできなくてな」  親子というにはまるきり似ておらず、なんの旅装備もしていない奇妙な二人を観察しつつ、アイディーンは腕の布をとった。  「ひどいな」  刃物でざっくりと一閃されている。  傷口はまだ開いており、完全に乾いてもいなかった。  「この状態で何日放っていたのかしらないが、かなり化膿している。もう少し遅ければ敗血症をおこしていただろう」  アイディーンの言葉に、男は顔色を失った。  「た、助かるのか」  「時間はかかるが必ず治す」  施術を始めたアイディーンの横で、男は脱力してしゃがみこんでしまった。  「ああ、よかった」  「あんたもずいぶん疲れているようだな」  「何日もろくに眠っていない。食料もほとんどもちあわせがなくて……」  着の身着のままといった姿を見れば、よほど切迫した状況から逃げだしてきたらしい事情が察せられる。  手をかざした細い腕の傷口から、膿と体液があふれて悪臭を放ちはじめた。  しばらくぼたぼたと流れおちて男の顔をゆがませたが、切り口がゆっくりふさがって新しい肉がもりあがってくるのを見て息をつく。  「熱が高いが、これはいつからだ」  「もう二日になる。急激に体調を崩して動けなくなってしまったんだ」  「しばらく発熱は続くが、安静にしていれば問題ない。あとは」  アイディーンがかざしていた手をおろして男をふりかえった。  「栄養を摂らなければ治るものも治らない。この子にも、あんたにも食事が必要だ」  立ちあがると、離れた場所で魔属の気を警戒していたカシュカイを呼び、あずけていた荷袋から乾肉と乾棗をとりだして男に手渡した。  「まともに食事をしていなかったのなら、湯をわかそうか」  「いや、このままでじゅうぶんだ。ありがたい」  男は乾肉を噛んで割くと、ほぐしながら時間をかけて食べた。  腹が満たされるのを待って、アイディーンが声をかける。  「名前を聞いても?」  「おれは……シュガル、という。連れの名はわけあって明かせないが」  「旅の途中という恰好じゃないが、なぜこんな危険なところにいたんだ」  「それは」  歯切れ悪く、シュガルは気まずそうに沈黙してしまった。  それきり、続く言葉がなかったので、アイディーンは立ちあがって言った。  「事情があるなら無理に聞きだすつもりはない。じきに日が暮れる。薪を拾ってくるから、その子を看ていてくれ」  返事を待たずに歩きだしたアイディーンの背後から小さく「ありがとう」と聞こえた気がした。  三人から距離をおいて立っていたカシュカイは、男には目もくれずにアイディーンのあとを追う。  いくらかの木枝を拾うあいだ二人は無言だったが、やがてアイディーンが口を開いた。  「シュガルたちが気になるか」  カシュカイは虚をつかれたような顔をして目を伏せる。  態度にだしたつもりはなかったが、アイディーンは彼のわずかな違和感を察していたらしかった。  「危害を加えてくるのを警戒しているのか」  「いえ」  カシュカイは首をふった。  みるからにいわくありげな怪しい二人だが、追い剥ぎや盗人といったふうではない。  仮にそうだとしても、盗られて困るものなどないし、そんなへまをするほど油断しているわけでもなかった。  気になっていたのはシュガルの声だ。  カシュカイは風属の加護が豊かなために、()にも敏感なところがある。  シュガルの声を耳にしたときから、聞き覚えがあるような気がしていた。  しかし、それはあまりに不確かなひっかかりで、はっきりいつ誰のものと判じられない。  その曖昧さがカシュカイの言動を鈍らせていた。  アイディーン自身も、あまりいい予感をもたなかったのはシュガルを見た瞬間からで、助けたのを後悔しているわけではなかったが、いまの状況への密かな警戒感が徐々に増しているのは確かだった。  「あれこれ考えてもしかたないな。まずあの少年の容態が安定しないことには」  アイディーンの言葉にカシュカイはうなずくと、再び黙々と枝を拾った。  二人の両手に抱えるほどの量の薪をもって戻ると、すでに少年は目を覚ましていた。  小さな身体を樹木にあずけて座っていて、シュガルと言葉を交わしている。  アイディーンたちが戻ったのに気づくとはっとして顔をあげ、こちらをうかがうような、あるいは警戒するような用心深さをみせた。  木枝をおろしてアイディーンは少年のそばまで行き、膝をついて目線を合わせた。  しばらく顔をのぞきこんで、それからうなずく。  「回復に向かっているようだ。気分は」  「……目がまわるような感じがする。臓腑がひきしぼられるような……」  「それは空腹のせいだ」  おかしそうに言うと、アイディーンは立ちあがってカシュカイに耳うちをした。  青年は手早く薪に火をつけ携帯用の金属(かね)の容器をすえると、少しの水とちぎった乾杏を放りこんで病人のために食事を準備する。  そのあいだにアイディーンは少年の額と首すじに手をあてて体温を確認し、もう一度治癒法術を施して休ませた。  「危ないところを助けてもらったそうですね。この……シュガルから聞きました」  まだ幾分か疑い深いまなざしを向けつつ少年が言った。  「魔種狩りの法術士だそうですが、名のある方ですか。ビジャールから派遣を?」  なにやら詰問されているような気分になりながら、アイディーンが答える。  「俺はアイディーン、あいつはカシュカイという。だが俺たちはシヴァスから来ているから、きみがビジャール人でも名前は知らないだろうな」  少年がそばに座っているシュガルに目をやると、彼はわずかに首をふった。  少年はそれを見て、ようやく気を静めたような顔をした。  「そうでしたか。助けていただきありがとうございました。僕はロティといいます」  「シュガルはきみの名前を明かしたくないようだったが」  「この者は……僕の家に仕える従者なので、主人のことを勝手に口にするのをはばかったのでしょう」  なるほど、とうなずいてアイディーンは二人をながめた。  たしかにロティは汚れてはいるものの仕立ての良い衣を着ている。  従者がいる出自といっても違和感はなかった。  そうだとすれば、余計にいまの状況が異常ともいえる。  軽装で人里離れた森をさまよっていたのも、深い傷を負っていたにも関わらずろくに手当てせず放置していたのも不審だった。  盗賊らしきに襲われたと言っていたが、無条件には信じがたい。  疑問は多々あったものの、正直なところ二人を追及する気はアイディーンにはさらさらなかった。  いかにも事情がありそうな口の重い態度をみていながらしつこく問いつめようとは思わなかったし、アイディーンたち自身にも事情というものはある。  アイディーンが彼らを街へ連れていくべきか思案していると、カシュカイがそばへやってきた。  手に持った小鍋から甘い匂いがただよってくる。  アイディーンがそれをうけとってロティへ勧めると、少年は得体の知れないものをみるように目をすがめた。  「病人食代わりだ。しばらくまともな食事をしていないなら、胃に負担のかからないもののほうがいいだろう」  アイディーンの言に、少年より先にシュガルが容器を手にした。  乾杏が煮溶けてとろりとしたそれを少し口にし、それから少年へ手渡すのをみて、アイディーンは苦笑する。  いつもこうやって毒見をしているとでもいうのだろうか、ずいぶん過保護な態度だ。  あらぬ疑いをかけられるはめになったカシュカイは、しかしなんの反応もなくアイディーンのそばにひかえる。  ロティはいま初めてその存在を認識した、というように、スィナンの青年へ目をやった。  頭布で額を隠したアイディーン同様、カシュカイも甲当てをつけていてマラティヤとはわからず、旅用のヴェールを目深にかぶっているのでスィナンとみやぶられることもないはずだが、アイディーンは注意して少年の視線を追う。  容器を口もとへもっていこうとした手も向けた瞳もぴたりと停止し、数瞬のあいだ少年のなかの時間が凍結したかのようだった。  そのあと両手が震えはじめ、容器をとりおとしそうになってシュガルがとっさに支える。  ロティの動揺はあからさまだったが、カシュカイはそれを見もせず目を伏せ気味にして静寂を保っていた。  アイディーンもなにも言わなかった。  スィナンの青年を目にした者は誰であれ、大なり小なり似たような反応を示すからだ。  スィナンであることを隠していてもそれは変わらない。  シュガルからも、無意識なのかカシュカイから距離をおこうという態度はずっと感じられた。  「アイディーンたちは」  ロティが不可解な自分の怯えをふりはらうように大きな声で言った。  「シヴァスへ戻るところなのですか。ここからシャルク大陸へはずいぶん長い道のりですが」  「いや、俺たちは首都バハールへ寄ってカプラン大陸へ渡る行程をとっている」  「首都は魔獣の襲撃で混乱していると聞きます。旅の方には危ないのでは」  「首都にかぎらず、いまやデニズリじゅうが魔属をひきよせる磁場になっている。そもそも、俺たちは魔種狩りが任務だからな。それより、王家の内乱騒ぎのほうが気がかりだ」  「我が国の内乱の話は、シヴァスの人の耳にも届いているのですか」  ロティが暗い声を吐いた。  どこの国や領地であろうと、王家の揉めごとは民にとって生活を乱す災厄だった。  清廉潔白とはいわなくても、面倒の少ない安定した統治者を誰もが望んでいる。  「魔属対策の指示が()から滞った状況だとしたら、割をくうのはバハールの民だ。王家の直轄領だけに、個々の民では連携がとりにくく、対応できないかもしれない」  アイディーンはバハール市民が無為に魔属の餌食になるのを懸念していた。  辺境ならば住民はある程度自立していて、不測の事態がおこっても自分たちでなんとかするものだ。  しかし、首都など大きな街になると統制がいきとどきすぎて住民のあいだに連帯感がなくなってしまい、いざ災害が起きたとき、上層の指示がなければ動きがとれなくなってしまう。  ロティははっとしてアイディーンを見た。  「遠い異邦の人がデニズリの民を気にかけるのですか」  「国が違っても人は変わらない。普段魔属ばかりを相手にしていると、余計にそう思えてくる」  少年はひどく怪訝な表情をした。  思いもしなかった視点だというように考えこんでしまったので、シュガルが話題をかえた。  「ところで、アイディーンたちがバハールへ向かうのなら、この森をでるまで同行してもいいだろうか。つまり魔獣や盗賊にでくわしたときには、その法術をあてにしているんだが……もちろん報酬は払う」  彼は腰袋から腕輪をとりだして、アイディーンに示してみせた。  黄金製の細いそれは、滑らかな面の表も裏も隙間なく微細な彫刻で埋めつくされており、高価なものとわかる。  アイディーンは首をふった。  「頼まれなくてもあんたたちを連れていくつもりだったんだ、礼にはおよばない。それに、そんなものは不用意に人目に触れさせないほうがいい」  あきらかに一般には流通していないような贅沢品をみて、アイディーンは確信した。  彼らはおそらく貴族だろう。  二人が魔属のことを限定して魔獣と言ったときから、ある程度の推測はしていた。  魔属が魔獣と魔族に区分されているのを明確に認識しているのは、法術士や魔属研究者、そしてそれを知り得る地位にある者だ。  彼らの言動をみていれば、おのずと上流階級の出とわかる。  「あんたたちが望むなら、近くの街の診療所まで同行しよう」  しかし、シュガルは即座に首をふった。  「いや、森をでるまででじゅうぶんだ」  なかば予想していた答えだったので、アイディーンはそれ以上の提案はしなかった。  ロティをみると、彼はまだ考え深い様子でアイディーンたちの会話も聞いていないらしかったが、視線に気づいて顔をあげると気まずげに目をさまよわせる。  しかし結局口はひらかず、やがてため息を漏らして夕闇に沈みはじめた森の遠くを力なくながめた。
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