07 - では、アイディーンは

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07 - では、アイディーンは

 「――では、アイディーンは王家による統治をやめろというんですか」  「そうじゃない。どこの国もすぐに君主制をなくすわけにはいかないだろう。一点に力が集中しすぎるのが問題なんだ。例えばデニズリにも議会はあるが、市民が議員になることはできない。もう少し共和制が進めば、より多くの人々が政治に参加し、その恩恵をうけられる」  「でも王政は古来から続いてきて、だからこそうまく国を統一してこられたんでしょう」  「(いにしえ)といっても、王政が主流になったのはここ数百年で、それ以前は民から選出された官たちの話しあいで国をまとめていたんだ」  「それは……昔は国の規模がいまよりずっと小さかったから可能だったのでは」  「一理あるが、いまだからこそその制度が必要になってくる――特にビジャールのような主国はな。シヴァスにもいえるが、周辺の小国をのみこんで主国は肥大化し、支配階級と民との距離がひらきすぎた。いずれ必ず反旗を翻す者が現れる……その前に、手をうたなければならない」  アイディーンの含めるような言葉に、ロティは考え深い様子でうなずいた。  険しい森のなか、魔属を警戒しつつ歩きながらする会話としては、まったく不向きな内容である。  怪我と発熱で弱っていた少年の回復を待って一行が旅を再開したとき、ロティとシュガルは警戒心のかたまりだった。  しかし、アイディーンの社交的な気さくさにくわえ、何度かの魔獣の襲来に対するあざやかな応酬の手腕が、少年に憧憬の念をいだかせたらしかった。  もとは多弁なのだろうロティは次第にアイディーンに慣れ、アイディーンも尋ねられるまま少年の質疑に応じているうちに、いつの間にか国のありかたについて、などという壮大なテーマで議論することになっていたのだった。  ロティは家庭教師について(まつりごと)(あきない)を学んでいたというが、本人にとっても興味のある分野らしく、歳に似合わず鋭い見識をみせた。  しかし彼以上にアイディーンはその年齢に不相応な知識と教養があり、巧みな語り口がロティを夢中にさせた。  聞くともなしに耳をかたむけていただけのシュガルでさえ、知らず熱心に聞き入ってしまい、アイディーンの博識には感心するしかない。  秀でた法術士で体術にも長け、碩学(せきがく)でありながら偏狭なところは少しもなく、容貌さえ並ならぬ端正さの青年である。  主国シヴァスの国属法術士ともなれば、これほどの天分をそなえているものかと感嘆すると同時に、自らの故国デニズリの乱れようを省みて暗澹となった。  ロティがアイディーンに傾倒するのを危惧しながら、それに諌言できないのは無理もない。  シュガルにとっても、シヴァス人の青年はじゅうぶん魅力的で興味深い人物だった。  唯一、孤立を貫いているのはカシュカイだけである。  アイディーンたちはシヴァスから来たと言ったが、この青年は西方大陸の顔だちとは異なってみえた――とはいっても、暗色の遮光ヴェールの陰に隠れがちな顔は、震えがくるような冷たい美貌だとわかるだけで、正面からじっくり観察することなどできなかった。  彼は常に一行から離れたところにいて、周囲を警戒するほかは自分たちの会話になんの反応も示さない。  アイディーンが声をかけたときにかぎってはうなずく程度の態度はみせるものの、自らしゃべりもしないし、シュガルたちも得体の知れない不気味さが、法術士というより呪詛や怨嗟をあつかう魔呪士を思いおこさせた。  シュガルの前方を歩くロティとアイディーンは、まだ議論を続けている。  とくに熱心なのはロティで、法術士の青年は彼の相手をしながら周囲を警戒し、後方のシュガルとカシュカイにも気を配っているのがわかった。  それも、シュガルの位置から観察するように見ていたため偶然気づいたことである。  二度の休憩のあと日が最南に達した時分に、アイディーンが不意にロティの口をふさいで緊迫した様子をみせた。  シュガルへも声をださないよう指示し、ずいぶん後方にいたカシュカイを呼びもどす。  ロティとシュガルを大樹の根もとの繁みにしゃがませると簡易の隠形の法術を施して、二人の青年は森の先へ走りだした。  シュガルたちは知らなかったが、もう少し進んだところには村があるはずだった。  アイディーンのもっていた地図にも載っている古くからある村らしい。  しかしこの食事時にかまどの煙もあがっておらず、なによりも錆びついたような血のにおいが二人の警戒を高まらせた。  「人の声か物音は聞こえるか」  アイディーンの問いにカシュカイはしばらく意識を集中させたが、やがて首をふった。  「おそらく全滅かと。わずかに腐臭もするので、一日は経っていると思います」  「森のなかとはいえ、こんな集落まで襲うようになるとはな」  どんな状況だったとしても、ビジャールへの報告は必要だった。  検分のため、二人は慎重に村へ足を踏みいれる。  ごく小規模な集落では防壁も満足に築かれていない。  果たして、老人も若者も、男女の区別すらなく死体が転がっていた。  散乱していたといってもいい。  「少数の群れで襲ったらしいな」  アイディーンは魔獣の爪で引き裂かれたらしい、ばらばらになった身体の欠片を見てまわりながら言った。  本来魔獣が人間を捕食するとき、肉はもとより骨さえかまわず胃袋におさめてしまうため、流れた血の他は死体の一片も残らない。  こうやって喰い散らかしているのは、襲った人間の数が魔獣の群れの許容量を超えていたからだ。  魔獣とて自分たちをまかなう以上の狩りは普通しないが、抵抗されれば牙をむくしかない。  スィナンの青年は村にも村人の変わり果てた姿にも興味を示さず、村内を見てまわる主の後ろを歩いていたが、一軒の家の前を通ったとき、ひらいたままの戸の奥から気配を感じてとっさに退き法術攻撃を放った。  アイディーンが気づいて駆けつけたのと、家のなかから爆発とともに、わっと叫ぶ声が聞こえたのは同時だった。  「なにがあった」  「法術反応が」  カシュカイがアイディーンの問いに答える前に、燃える戸口から男が二人とびだしてきた。  どうやら人間らしい、顔も衣もすすけているが怪我はないようだとアイディーンが見てとるうちに、男たちはひと息つく間もなく顔をあげて、もう一度叫び声をあげた。  「ああッ、大気のマラティヤ!」  喉をひきつらせて後ずさった二人と、表情をぬぐい去って目を伏せたカシュカイを比べると、互いに見知った者同士であるらしい。  「ビジャールの法術士か」  二人のいでたちを見て尋ねるアイディーンに、彼らは不審な目を向けてきた。  額を隠していた布をずらしてみせると、あっと驚いて拝礼する。  「大地のマラティヤ、アイディーン・シャルキスラ様でしたか。ご無礼をお許しください」  「こんなところでなにをしている」  今度はアイディーンのほうがいぶかしげに問うと、法術士たちはかしこまったまま答えた。  「我々はデニズリの首都バハールへの偵察隊です。途中この村の異変に気づき、我ら二名は隊を離れここを調査していたのです」  「じゃあ、俺たちに協力してくれるというのは」  「はい、ベイル様より命を受けております。マラティヤの御意に必ず沿うようにと」  「偵察は何人来ているんだ」  「我々のほかに二名がおります。彼らは先にバハールへ入っているはずです」  アイディーンたちにとっては予定外の場所での合流となったが、隠密を得手とする法術士が全面的に協力してくれるのなら都合がいい。  むろん、彼らはビジャールの利益に基づいて行動しており、アイディーンたちマラティヤの痛くもない腹を探られる面倒を考慮に入れておかなければならなかったが。  「ではさっそく動いてくれ。いまバハールで集中的に暴れている魔獣がどこから来るのか調べてほしい。これほど大規模で連続的な襲撃が、自然発生や個人の企てとは考えにくい。もっと大きな後ろ盾が必ずある。あるいは、そこに魔族がいる可能性も」  魔族、という言葉に法術士たちは糸を張ったように緊張をみせた。  「魔族が獣どもを扇動しているというのですか」  「あくまで可能性としてだ」  青年の慎重な言に、かたい面持ちで「承知しました」と男はうなずいた。  「その役目、わたしがお引き受けいたします。いまひとりはバハールの仲間へ報告に行かせなければなりません。――実は、今日になって連絡がとれなくなっているのです」  男の返答にアイディーンは眉をひそめた。  法術を用いた短時間の通信は、偵察行動をする法術士たちのあいだで密に行われている。  もちろん敵側に知られる危険はあり、場合によっては故意に通信を断つ場合もあるので、呼びかけに応えないからといって必ずしも緊急事態とはいえない。  しかし、このときアイディーンは好ましくない予感をもち、法術士の男もなんらかの根拠があるからこそ、わざわざひとりを首都へ向かわせようとしているのだろう。  「気をつけて行ってくれ」  アイディーンの言葉にうなずいて、もうひとりの法術士は一礼すると詠唱とともに姿を消した。  魔獣とでくわす面倒を避けて隠形の法術を施したようだ。  澱みない詠唱や術の起動の速さから、優れた術士なのだろうと察せられる。  もっとも、そうでなければ偵察の任務など与えられない。  「わたしのことはアービィとお呼びください」  法術士の男は手のひらにすっぽりおさまるほどの小さな賽の形の石をアイディーンに手渡した。  黒々とした表面に細かな記号や法陣が彫りこまれている。  特定の相手と連絡をとりあうための〈共鳴石〉という術具である。  アイディーンがそれを受けとるとアービィもまた姿を隠し、気配が去るのを見送った。  姿が消える直前、彼はスィナンの青年を見たが、カシュカイが目をあわせることはなかった。  「彼らと知りあいか」  アイディーンが尋ねると、カシュカイは少し間をおいて答えた。  「ビジャールにいたときに何度か面識があります。魔獣の掃討作戦でも一度彼らの後方援護をしました」  法術士たちがカシュカイを見たときの怯えようを思いかえすと、過去になにかひと悶着あったのかもしれない。  家のなかから法術を発動させようとしていたのは、スィナンの青年を魔属と勘違いしたからなのだろうか。  彼らが使おうとしたのはまぎれもなく攻撃法術で、カシュカイはそれに気づいたからこそ同じ攻撃法術で力を相殺させた。  アイディーンは自分のなかの恣意を払い、カシュカイを見やった。  そこでふと、彼とまともに言葉を交わすのが久しぶりだと気づいて、あらためてながめる。  ここ数日、ロティの親密さは著しいもので、なにをするにもアイディーンの真似をするような、言い換えれば得がたい師か兄にでも対する思慕があり、一日の大半を彼のそばですごしていた。  少年の好意の是非はともかく、ロティとシュガルがいるとカシュカイは近づいてくることがなく、話をする機会もほとんどない。  主の強い視線をうけたカシュカイは困ったように目を伏せた。  そんな人間らしい表情を見るのもずいぶん久しぶりに思われて、アイディーンはロティたちと行動を共にすることがカシュカイにとって精神的負担になっているのを察した。  とはいえ、ロティたち二人をこんなところで放りだすわけにはいかない。  「戻るか」とアイディーンが声をかけると、カシュカイは静かにうなずいた。  この村の惨状はアービィが本国へ報告するだろう。  アイディーンたちがこれ以上ここにとどまる必要もない。  再び魔獣に荒らされないよう村全体に簡易の結界を張ると、二人は来た道を戻っていった。  ロティとシュガルは樹の根もとで低い姿勢のまま動かず待っており、かたい表情をはりつかせていた。  「なにがあったんだ」  シュガルが尋ねると、アイディーンは首をふって答えた。  「この先に村があったが、魔属にやられて全滅していた。もう魔属の気配はないが迂回して進もう」  全滅と聞いて、ロティは顔をこわばらせる。  彼は魔属に対して人一倍恐怖心が強いらしかった。  「デニズリに大量の魔獣がわくのはなぜだとアイディーンは思いますか」  「いま原因を特定するのは難しいな。場所によって魔属の分布に差があるのは、暗黒期にかぎったことじゃない」  そうだとしてもこの国に出現する魔属の数は多すぎる、とは皆が思っている事実だったが、ロティはそれ以上は口をつぐんだ。  重い空気のまま一行は出発し、その日の夜も野宿することになった。  アイディーンたちは慣れているが、ロティとシュガルは干物や塩漬け中心の食事も、かたい地面で外套にくるまって眠るのもほとんど忍耐の限界らしく、疲労の色が濃い。  彼らの体調を気遣って、アイディーンは日没が迫ると早めに移動をやめ、石で簡単なかまどをつくって火をたく。  近くに清水がわいていたので、何日かぶりに手間をかけて煮込みスープをつくってやると、二人はいつもより勢いこんでたいらげた。  「もうひとりの……カシュカイは一緒に食事をとらないのか。一度もこちらへ来ないが」  シュガルがこれまであえて話題にのぼらせなかったカシュカイのことを口にしたのは、自分たちだけが温かい食事を供されているのに、いくらかの後ろめたさを感じたからだろう。  しかし、アイディーンはなんでもないというように首をふった。  「あいつは食事するところを他人に見られたくないんだ。気にしなくていい」  「睡眠もか? 離れていると危ないだろう。いくら法術士といっても」  「自分の身を守るすべはよくわかっている奴だから、心配いらないさ」  視界に入る範囲には見えないスィナンの青年を追うように、アイディーンは暗い森の向こうへ目をやった。  早々に食事をすませた一行は、火の番をするアイディーンを残して就寝の床についた。  疲れのせいであっという間に眠りにおちた二人から、規則正しい寝息が聞こえる。  拾い集めておいた木の枝をかまどに放りこんで、アイディーンは大剣の手入れをしていたが、やがて小さくスィナンの青年の名を呼んだ。  すぐに、音もなくカシュカイが現れる。  彼を隣に座らせると、昼間ビジャールの法術士から渡された共鳴石をとりだした。  「これはカシウがもっていろ。明日のアービィからの通信に対応してくれ。シュガルたちには知られないほうがいいかもしれない」  「わかりました」  「周囲に魔属はいたか」  「いいえ、この一帯はもうほとんど瘴気を感じません」  「移動したか……」  アイディーンはしばらく自らの思案にくれていたが、かたわらで静かに火の世話をするカシュカイのほうへ手をのばして耳飾を指で揺らし、彼をはっとさせた。  蜜色の輝きがカシュカイの装いとしてよく似合っているのを満足げにながめると、青年はいつものようにぎこちなく目を伏せた。  その様子をアイディーンは注意深く観察する。  バズルリングの騒動で負った怪我から回復して以来、カシュカイの身体を密かに気にかけていたが、目立った後遺症はみられず一応の安堵を感じていた。  左腕に違和感もないらしく、過日のアイディーンの説明に疑問をもった様子もなかった。  いや、たとえ不審に思っても、カシュカイはなにも言わないだろう。  主を疑うことも責めることもない。  アイディーンがよりカシュカイに近づこうと身体を寄せたとき、かまどにくべた枝がぱきんと音をたてた。  同時に火の向こうがわで身じろぐ気配がしたので、カシュカイは主のそばから退くとまたたく間に姿を消してしまった。  「アイディーン」  呼ぶ声に青年が目を向けると、少年が身体を起こしたところだった。  「火の音で目が覚めたか」  尋ねると、少年はこくりとうなずく。  スィナンの青年には気づかなかったようだ。  「まだ起きるような時間じゃない。もうひと眠りしな」  うながしたものの今度は少年はうなずかず、そのままアイディーンの隣へ来て腰をおろした。  まだ意識のはっきりしない顔をしていたが、アイディーンが抜き身の剣を手にしているのを見て、目を大きく開いた。  「剣の手入れをしていたんだ」  アイディーンは安心させるように剣を鞘へ戻した。  「アイディーンは一晩じゅう起きているのですか」  「いや、あとでカシウに火の番を代わってもらうつもりだ」  「では、それまで話をしていても?」  「それはかまわないが、明日がつらいぞ。ロティもシュガルもそうとう疲労がたまっているようだからな」  「でも、明日はもう森を抜けられると言っていたでしょう。そうしたら、すぐお別れですから」  ロティはひどく名残惜しいといった口ぶりである。  出会って数日、しかしそのわずかなあいだにシヴァス法術士の青年の魅力に完全に惹きつけられてしまった。  それはアイディーンと交流した多くの人間がおちいる感情だったが、むろんロティは知るよしもない。  ただ、もう会う機会もないのだと思うと残念でならないのだった。  周囲の誰にもいだいたことのないような、尊敬、憧憬、追いつけないもどかしさ、そんなものが入り混じった感傷がせまってくる。  ロティは文武に優れた人間も頭の良い人間も、また美しい人間も知っているが、誰もアイディーンにはおよばないと思った。  「アイディーンは騎士なのですか。その大きな剣はシヴァス騎士のものと形が似ていますね」  「よくわかったな。きみの言う通り俺は騎士だ。といっても、いまは休業中だが」  アイディーンの答にロティは不可解な顔をした。  騎士とは気軽にやめたり復帰したりできるものではない。  貴い地位と名誉を得る代わりに生涯を王と国に捧げる誓いをする、自由の少ない職ともいえる。  ましてやその職を辞しているというなら、騎士の証である大剣をもちあるくのは規律に反するのではないだろうか。  「俺は法術士でもあって、いまはその任務についている。騎士を廃業したわけじゃないから帯剣の許可はでているが、任務中に騎士としてふるまうのは禁じられているな」  シヴァス騎士という肩書きはシヴァス国の、あるいはシャルキスラ家門の色が濃すぎるため、絶対中立の立場にあるべきマラティヤを務めるあいだは、その威権を制限されている。  父と兄が大真面目な顔で、騎士の名をひけらかさないよう言い含めてきたときのことを思いだし、アイディーンが思わず笑いを漏らしたので、ロティはどこまでが本当でどこからが冗談なのかわからなくなってしまった。  しかし、彼が騎士の資格を保持しているのは疑うべくもない。  魔属に対したときの剣技の鋭さがそれを証明している。  傭兵や無頼の戦士にも剣に優れた者はいるが、彼の剣筋はあくまで正統に訓練されたものであり、我流ではなかった。  「アイディーンを師として学問と武術とを学べば、僕もあなたのようになれるだろうか」  ロティがぽつりとつぶやいた。  「俺のように? 話を聞くかぎり、ロティは良い教師に恵まれているじゃないか」  「ええ、でも……」  アイディーンほどには惹かれないのだとロティは説明できず、代わりに言った。  「あなたの人柄を、その心の深さと強さを、僕は学びたいと思ったんです」  「なぜ」  「この国を僕が守らなければならないと思うからです。このままじゃいけないんだ、デニズリは」  はっとしてロティが顔をあげると、アイディーンが見ていた。  まなざしの強さに焦りと、初めて小さな怖さを覚えて、ごくりとつばを飲みこむ。  しかしそれはほんの一瞬のことで、アイディーンはひとつうなずくと少年の肩に触れて身体を向きなおらせた。  「ロティ、森をでたあとの身の振りを迷っているなら、デルスへ行くといい」  「な、なぜ、そんなことを」  ロティが気おされて言葉をよどませると、アイディーンはもう次の瞬間にはにこりと笑んでいた。  「じつは俺は占いも得意なんだ。南の方角にはきっと好事がある」  少年はもうどういう顔をしていいのかわからず、あっけにとられて黙るしかなかった。  アイディーンはそれにかまわず小さな肩を軽くたたく。  「南だ。覚えてな」  心地の良い低い声はロティのなかに響いて、その後も消えずに残った。
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