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08 - デニズリの王宮はこのところ
デニズリの王宮はこのところ人の出入りが多くおちつかない。
兵の統率も乱れがちで、首都にまで出没する魔獣への対応も迅速とはいえなかった。
理由は王の不在にある。
デニズリの女傑といわれた王ジェムアルートは、その辣腕をふるい三十年にわたって国をまとめてきたが、昨年十一月におこった〈デニズリの一戦〉のときの激務と心労がもとで病床に伏した。
そのころから王女メユヴェと王子アドゥの後継争いが徐々に表面化してきたのである。
優勢だった王女派は王子のとりまきを閑職に追いやり、彼らの兵を分散させて魔属防衛の名目で僻地へ派兵させるなどして、戦力を奪っていった。
決定的な騒動がおきたのは先月、バズルリングと称する過激な集団が瓦解した際、魔属を利用して国内を混乱させようとした手口があかるみに出、そのパトロンが王子派を明言していたグルタル子爵とあばかれたことだ。
子爵は即座に失脚し、王子派は急速に勢いをなくしていった。
好機とみた王女派が一気にかたをつけるべく実力行使にでると、兵力を削がれていた王子派は抗うすべもなく半数は捕らえられ、王子はからくもおちのびたものの消息が絶えてしまった。
旗印を失った王子派の貴族たちはまとまりを欠き、短期間のうちに王女陣営が王宮を掌握したのだった。
ジェムアルート女王はこのころいっそう病状が悪化し、ほとんど意識もないほどで、宮内の騒動をおさめるのは不可能だった。
かくして王女とその夫、周りをかためる貴族たちで政治を行う運びになったが、ジェムアルート女王ほどの統率力はなく暗黒期ゆえの混乱もあり、統治はかんばしくなかった。
それに加え、ここ最近の魔獣大量発生という異常事態が、彼らの処理能力を完全にうわまわっているのである。
「バハールにもっと兵を増やせないのかい」
カリヨン公爵、ディエール・カリヨンは焦りと困惑をないまぜにした表情をあらわにして言った。
メユヴェ王女の夫である彼はたびたび自らが王族であるかのようにふるまってきたが、このときばかりは不安をおし隠せず力ない言葉だった。
「これ以上は首都に兵を移せません。なんとかこのままもちこたえなければ」
答えたのはブルジュ伯爵である。
カリヨン公爵の血筋に連なる彼は、王女派の参謀として今回の騒動で采配をふるってきた。
二十近く年下のディエール・カリヨンの小心ぶりは絶えず彼をうんざりさせたが、政権を奪取してからのわがままはひどくなる一方だ。
しかしそれ以上に気がかりなのは、メユヴェ王女がこのところ著しく覇気を失っている点だった。
この王女ならば貪欲にデニズリ王の地位を母親から奪うだろうと見込んだのは、間違いだっただろうか。
――偉大な王として歴史に名を刻むだろうジェムアルート王は二十代なかばで王位につき、革新的な政策と堅実な金策で国民の生活を潤し文化水準をおしあげた。
彼女自身、人間的魅力にあふれた人物でその人生に一点のくもりもないといわれたが、生涯の伴侶についてだけは選択を誤った。
彼女の夫は手のつけられない漁色家で、少なからず夫を愛していたジェムアルートとはいさかいが絶えなかった。
夫としても、できすぎた妻に劣等意識があっただろう、めったに王宮に戻らず憂さを晴らすように遊びまわっていたが、情人の屋敷で食あたりであっけなく死んでしまった。
メユヴェ王女はその父親に面差しやちょっとした癖がよく似ているために、母王からはかわいがられなかった。
それは周囲からみてもわかるほどで、女王は執念でアドゥ王子を産んだのだとささやかれている。
メユヴェ王女は母王を恨み、その地位を奪いとることで復讐を果たそうとしているのを、ブルジュ伯爵は見抜いていた。
そしてジェムアルート女王は、古来から続けられてきた長子相続の慣習より贔屓の子に王位を与えていらぬ騒乱をおこすような愚をおかさないだろうという読みが、メユヴェ王女の頭脳としての立場を伯爵に選ばせたのだ。
しかし、王女がこの期におよんで決意をにぶらせている。
つらくあたられた母といえど、その死期が明瞭になってくると子として親を慕う心がよみがえるのだろうか。
理由はどうあれ、伯爵にとって歓迎できる状況ではない。
「そ、そういえば、アドゥ王子もまだみつかっていないのだろう。手がかりはつかめたのかい」
カリヨン公爵は思いつくまま不安を口にする。
「王子を強く推していたデヴェリも逃がしたままだ、合流されるとやっかいなことになる」
「王子の消息はさだかではありませんが、デヴェリ卿は南方へ向かったという情報もあります。いずれこの場へひきずりだされるでしょう」
ブルジュ伯爵は内心舌打ちしながらも淡々と状況を説明した。
彼は極端にいえばカリヨン公爵を阿呆だと思っている。
自らの不安をすべて口にださずにはいられない小心さ、なんでもブルジュ伯爵が解決してくれると信じこむ依頼心、耳ざわりのいい答が得られれば安心してしまい、あとは考えることもしない。
この顔かたちだけは整った小さな頭のなかは、クモの巣でも張っているに違いないとブルジュ伯爵は思っているが、小心すぎて自分で主権をにぎるなど想像もしないおとなしさは彼にとって都合がよかった。
口をさしはさむだけの面倒ならばかわいいものだ、と自らに言い聞かせる。
その点でいえば、メユヴェ王女のほうが油断できない。
母王ほど剛胆ではないが、彼女は夫よりよほど聡明だった。
そのメユヴェ王女がちょうどこちらへ歩いてくるのが見え、ブルジュ伯爵は身を正して迎えた。
カリヨン公爵も遅れて気づき、大げさに両手を広げる。
「ああ、メユヴェ殿下、ごきげんいかがかな」
妻の手をとって甲と中指の先にうやうやしくキスをする姿は従臣のようである。
「ごきげんよう」と型通りのあいさつをした王女は、すぐにブルジュ伯爵に厳しい顔を向けた。
「グルタル卿がみつかったのはもう耳に入っていて?」
驚いて「いえ」と答えたブルジュ伯爵は、ふりではなく本当に知らなかった。
自分に先んじて情報をつかんでいた王女に、少なからず警戒を感じながら尋ねる。
「奴にはバズルリングの詳細など聞きださなければならないことが山積しています。どこに潜伏していたのですか」
「発見されたのはその組織の根城だったところだけれど、尋問は無理ね。みつけたとき、すでに死んでいたそうだから」
「どういうことです」
「わからないわ。仲間割れしたのか、もっと別の者に殺されたのか。でも身体じゅうの骨が砕かれた異様なむくろだったというから、怨恨かもしれないわね」
さらりと恐ろしいことを言った王女に伯爵は眉間にしわを寄せておし黙り、カリヨン公爵は思わず口をふさいでうめき声をもらした。
彼女は二人にかまわず続ける。
「問題は主だった残党を一刻もはやく生け捕りにしなければならないということよ。魔獣の異常発生とバズルリングが無関係のはずがないのだから、なにか機密をにぎっているのは明白だわ。それにアドゥの行方もまったくつかめていない」
「デヴェリ卿については近々捕獲できるかと。奴は王子づきの筆頭といってもいい、捕らえればいずれ王子の居所も示されるでしょう」
ブルジュ伯爵の返答は王女になんの感慨も与えなかった。
「それはどうかしら。あなたはデヴェリ卿によほど重点をおいているようだけれど、他の者たちの探索はどうなっていて?」
「もちろん主だった王子派の行方も同時に追っていますよ」
「では、もっと本腰をいれてジェイル卿をさがすといいわ。わたしは彼がアドゥをかくまっていると思っているの」
「ジェイル卿、ですか」
ブルジュ伯爵は意外な名前に虚をつかれた。
アドゥ王子にとりまきは多いが、その最たる者がグルタル子爵とデヴェリ伯爵だ。
過激派とでもいうべきか、なにかと派手な言動をくりかえし、王子に仕え支えるより後見として操ろうという魂胆は明白だった。
彼らのそういったやりかたに異を唱えていたのがジェイル伯爵である。
しかし、デヴェリたちほど大きな派閥ではなかったために主流にはなれず、王子からも遠ざけられていたはずだ。
「王子とジェイル卿にそれほど親しいつきあいがあったとは聞いたためしがありません」
「あなたの政の手腕を疑いはしないけれど、人の機微についてもう少し想像を働かせてもよいのではないかしら。ともかく、ジェイル卿を調べてごらんなさい。わたしの命令でさがすことになる前に」
王子派残党の捕獲はブルジュ伯爵に一任されている。
ここで、あえてメユヴェ王女の命により重要人物が捕らえられたともなれば、ブルジュ伯爵の面目は丸つぶれである。
「どうぞ、わたしにお任せくださいますよう。殿下の御手はわずらわせません」
伯爵は一礼すると、すぐに人を呼び指示を与えはじめた。
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