09 - 共鳴石の黒い肌に刻まれた

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09 - 共鳴石の黒い肌に刻まれた

 共鳴石の黒い表面に刻まれた微細な術陣がほのかに青く光を発し、持つ手へ静電気に似たかすかな刺激を伝える。  カシュカイが術文を唱えると、少しこもった声が聞こえてきた。  「――アービィです。シャルキスラ様……」  「報告は私が聞く」  青年の無機質な応答に、相手が息をのむのがわかった。  「大気の」とつぶやく声も聞こえたが、その後しばらく沈黙が続く。  カシュカイはなにも言わなかったが、重い空気に圧せられたようにアービィが低く声を発した。  「シャルキスラ様は」  「別用でお忙しい」  「……シャルキスラ様に直接申しあげたい。代わってくれ」  「通信は私に一任されている」  とりつくしまのない返答に、アービィは密かに舌打ちした。  できれば大気のマラティヤとは話したくなかった。  感情的な理由はもちろんあったが、それ以上に彼に聞かせたくない情報をもっていたからだ。  アービィは結局、先に首都へ入った仲間とは再会できていないこと、魔獣が大量発生している原因の解明もまだだということなど、こまごました報告だけを伝えた。  「ところで」と彼は最後に歯切れ悪く言葉をついだ。  「大気のマラティヤは、シャルキスラ様とずっと行動を共にしているのか」  問いの真意をはかりかねたカシュカイは「そうだ」とひとこと答えた。  もとより、アイディーンに従いマラティヤの役割を果たせとスィナンの青年に命じたのは、アービィたち主国の人間である。  なにをいまさら、と不審を感じながら、それ以外に返すべき答はない。  アービィも重ねては問わず、ただ、次回は必ずアイディーンを呼ぶようにと念をおして通信を切った。  手のひらの光の消えた小さな黒石をしばらく見つめ、カシュカイは自分を嫌うあの法術士が本当に言いたかった用件をなにひとつ告げなかった原因が、まさに自分にあるのを感じていた。  連絡役すら満足にこなせない自らの無能さにいつもながら自虐的な感情をかかえつつ、先を進むアイディーン一行に追いつくため歩きだす。  ――そのアイディーンたちは、ようやくまともな道らしい道へでたところだった。  さびれた山道だが、これまで荒廃した山中を草をかきわけ進んできた面倒を思えば、雲泥の差である。  ロティの足は治癒法術も追いつかないくらいまめや靴ずれができており、それはシュガルも同じだった。  もともと長時間歩くための旅用ブーツなどはいていないので、当然ではあった。  それ以前に、二人とも典型的な富裕民の身体つきをしていた――つまり肌は日に焼けておらず手には節くれもなく、指はかたくもなければ平たくもなっていない。  足先はまっすぐのびてやわらかい。  労働者ではありえず、日常的に長く歩く習慣もない生活をしているのがわかる。  それがいきなり普通の旅以上に厳しい行程をこなしていれば、足が悲鳴をあげるのも無理なかった。  不慣れだろう旅と食事に、しかし彼らはよくついてきた。  もちろんアイディーンはかなり移動速度をおとし食事や休息にも気を配ってきたが、それでも楽ではなかったに違いない。  「よくここまでがんばったな。この先はずいぶん進みやすくなる」  アイディーンの言にシュガルはあからさまにほっとした顔をみせたが、ロティはもっと複雑な感情をいりまじらせて口の端をひきむすんだ。  それは安全な旅の終わりを意味しており、個人的な寂寥感と名残惜しさでもあった。  南へ行け、というアイディーンの言葉も心中に一石を投じている。  彼が占いが得意だと言った冗談を信じたわけもなく、そうだとすればこちらの事情を知っているとでもいうのだろうか。  たしかに出会ったときの状況は不自然で、その後のとってつけたような説明に素直に納得した様子でもなかった。  しかし、不審すぎる二人に対してアイディーンは常に誠実だったし、しつこく問いつめたりもしなかった。  その真意がどこにあるのかわからないが、アイディーンを疑いたくないと感情的になってしまうくらいには、ロティは彼に親愛をよせてしまっていた。  「南、か」  少年のつぶやきをシュガルは耳ざとく聞いて近づいてきた。  「どうかなさいましたか」  「いや……」  昨晩のアイディーンとの会話を従者にも話していなかったロティは、歯切れ悪く言葉をにごした。  森を脱したあとの身のふりをよく話しあう必要がある。  「シュガル、じつは」  少年は口を開きかけ、ぎくりとして声をとぎらせた。  冷えた刃先を皮膚に近づけられるような不快感――カシュカイが姿を現したのだった。  背後から音もなく歩いてきた彼は、あからさまに警戒するロティと居心地の悪そうな表情のシュガルの横を通りすぎて、先頭を行くアイディーンのところへまっすぐ向かっていく。  彼のロティたちに対するふるまいは、徹底して空気のようだ。  本当に見えていないのではないかと思うほど意識を向けてこない。  警戒するだけばかばかしいとわかってはいるが、ロティとシュガルは、ロティはまた特にカシュカイという存在の気味の悪さに慣れることができなかった。  カシュカイはアイディーンのもとでなにか話をしている。  カシュカイを見おろしてときおりうなずくアイディーンの横顔は、同性のロティからみても過分に整いきっていた。  そのアイディーンをすっと見あげたカシュカイの、ヴェールからわずかにのぞく長いまつげと白い鼻梁を目にしたとき、ロティは思わず息をのんで立ちつくしてしまった。  彼らは一対の完璧ななにか(・・・)だった。  わずかひとつのかけらすら足し引きする必要のない完全なものを見たと、ロティは思った。  神々しい、という形容に至る瞬間、アイディーンがふりかえって前方を指さす。  「森をぬけるぞ」  木々がとぎれ一気に明るさを増す道の先、少年が目を細めて見たのは、陽光のまぶしさゆえだっただろうか。
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