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声をひそめて忠告らしきものをしてきた先輩に、結依は疑問符をつけて返す。
「何をですか?」
「あの人、怪しい宗教にはまってるみたいでね。友達も作らないでお金をつぎ込んでるらしいの」
「風俗に入れ込んでるなんて話もあるわよ。歓楽街に入っていくのを見たって子もいるし」
結依が海堂に気があるものと勘違いされたと分かったところで、先輩の向こうにデスクを構える経理の女性も割り込んできた。真偽の程はともかく、悪い噂には事欠かない人物らしい。
「ちょっと顔がいいから寄っていく子もいるけどねぇ、みーんなこっぴどく振られて終わってるの。彼のために何十万もドブに捨てた子だっているんだから」
「結依ちゃんは真似しちゃダメよー」
「気をつけます」
その手の噂話をいちいち真に受けるほど結依も子供ではない。角を立てない程度に返事をしておき、喋り続ける先輩に頭を下げて自分のデスクへ戻る。事務の仕事は不意に飛び込むものがとかく多く、雑用の多い新人は油断するとすぐに書類の山に埋もれてしまう。
雑談にうつつを抜かさずさっさと取り掛かるほうが賢明だと、結依は配属後の一ヶ月で学習していた。
だが、どうにも海堂のことが気にかかる。顔の良し悪しもそうだが、それ以上に。
「あの人、どこを見てたんだろう……」
たしかに結依を見ているのに、焦点はどこか虚ろに合っている。そんな瞳の記憶が、【至急】のポストイットがついた分厚い書類の束が届くまで結依の手を遊ばせていた。
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