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「え、風邪?」
激務の金曜を乗り越え土曜は半ば寝て過ごし、ようやく迎えた日曜日。幸い梅雨の晴れ間となった築地市場に一足早く到着した結依を待っていたのは、同行するはずの同期からのドタキャンであった。
「うん、いいからいいから。お大事にね」
手短に切ったスマホを手にしたまま、思案。彼女が立つ場所は関東、いや全国でも屈指の魚市場・築地市場。カバンにはグルメサイトや個人ブログを参考に厳選した寿司屋のリスト。そして完全に寿司を待ち構えている舌と腹。何も食べずに帰るなどありえない。
「どうだろう、ひとりディズニーよりはハードル低いかな」
一昔前――結依にとっては伝聞でしか知らない時代だが――よりは開放的になったとはいえ、ここは魚市場。二十歳そこそこの小娘がひとりカウンターで寿司を嗜むのは些かの抵抗がある。
「ま、いっか」
前者と後者を秤にかけたかかけなかったか、即決した結依は足取り軽く築地へと踏み入った。
結論から言えば、それは非常に充実した時間であった。妥協なく選んだ店に妥協なく並び、妥協なく板前と問答を繰り返して食べる寿司が不味かろうはずもない。入社してから研修やら歓迎会やらで寿司とご無沙汰だったこともあり、店を出た時には結依の財布は二回りほど薄くなっていた。
その薄さすらも愛しく感じつつ築地を歩いていた結依の視界。何度となく通った築地の風景の中を、ふと、覚えのある顔が横切った。
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