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 声は歌う。何よりもくすまないその音色で。低温は専門家に言わせると寝起きの声で、高温は透き通ったファルセットボイスで。彼の声は、海よりも澄んだ青色。今ラジオで流れているヨシ君の歌声のことだ。  イヤホンでラジオを聴きながら、私は一人で電車に乗り、窓の外の桜並木を眺めている。これから、市内で行われるラジオの公開放送を見に行く。  車窓から流れる景色を眺め、音楽を聴くのが好きだ。自分で選んで曲を聴くのもいいけど、ラジオだと自分が知らない色々な曲が流れる。流行の曲、昔の曲、あまり知られていない名曲、邦楽、洋楽。運命の出会いで素敵な曲に巡り合うこともできる。ラジオが大好きだ。ミュージシャンがゲストで来て、面白いトークを繰り広げたり、スタジオライブをしたりする。自分が好きな曲がかかったり、リクエストやメッセージが読まれたりするとすごく嬉しい。  ラジオの公開放送の会場にはもう人が集まっている。早く来た甲斐あって、前から5列目に場所を取ることができた。公開放送のラジオのスタジオを初めて見るのでわくわくした。思っていたよりも小さい、ガラス張りのスタジオ。  公開放送がもうすぐ始まるので、スタジオにはDJさんがいる。いつも聞いているラジオ番組のDJさん。彼女の姿を見られたのも嬉しい。公開放送が始まり、会場に彼女の声が流れる。今日の公開放送にはゲストでヨシ君が来る。  ヨシ君は去年デビューした、20歳のシンガーソングライターだ。デビュー曲がラジオのヘビーローテーションに選ばれている。ギターを抱え、澄んだ声で歌う。  私が彼のファンになったのは、ラジオがきっかけだった。去年の今頃、ラジオから流れる、美しい歌声、流れるようなメロディライン、詩のような歌詞に、ひと聴きで心を掴まれた。  気付けば会場は人でいっぱいになっていた。私はだいぶ前の方に場所を取れたのだと実感した。ファンはやっぱり女子が多い。彼は、とにかく顔がいいから、アイドル的な人気もある。最近じわじわ人気が出てきて、私は嬉しい反面少し焦っている。私だけのとっておき、という感じが薄れていくみたいで。有名になって遠くに行ってしまう感じ。  私はどきどきしながら、ヨシ君の登場を待った。 「お待たせしました。今日のゲストにお迎えします」会場は拍手と歓声でいっぱいになった。スタジオにヨシ君が現れた。信じられない、本物のヨシ君だ。 「どーも!よろしくお願いします」歌っている時とギャップがある、と言われる声が会場に響く。  「今日はファーストアルバムついてたっぷりお話をお伺いします。リスナーの皆さんからのご質問などにも答えていただきます。リクエスト、メッセージぜひ送ってください。それでは、曲紹介をしていただきましょう」DJさんに促され、ヨシ君がリクエストをくれたリスナーの名前と、デビュー曲の曲紹介をした。名前を呼ばれた人がうらやましい。曲が流れている間、ヨシ君は会場の方を見て手を振ってくれた。    曲が終わり、アルバムついてのトークが繰り広げられる。私はもちろん発売日に買った。改めて聴き所やこの曲はこういう意味だとか、こんなエピソードがあるというのを聴けると嬉しい。  その後はリスナーのメッセージや質問が紹介され、会場は盛り上がる。なんていい空間。 「あっという間の時間でしたが、最後に、プレゼントの当選者を発表します。ヨシさんのポスターにサインを入れて、リクエスト頂いた方から抽選で一名様にプレゼントします」 会場は「もう終わりなの」と「プレゼントほしい」気持ちが入り混じってざわざわする。 「選ばれました、幸運な当選者の方のメッセージを紹介します。 今日は公開放送行きます。とっても楽しみです。新しいアルバム大好きです、とメッセージをくれました、17歳、ラジオネームことりさん、ということで会場にいますね?」  ・・・私だ。私はびっくりした。私は事前にリクエストを送っていた。ラジオから流れるメッセージが自分のものなんて。私は慌てて手を挙げアピールした。 「あ、あれじゃないですか?そこの…」ヨシ君が私の方を指差した。 「あちらにいらっしゃいますね。おめでとうございます!」 「ことりちゃん、おめでとう」ヨシ君が私を認識してくれた。私は大きく手を振った。ヨシ君も手を振ってくれた。その姿が、私の脳裏に焼きついた。  帰り道今日の出来事を振り返り、本当に現実に起きたのか不思議に感じた。一人で市内に出かけるのは、私にとって冒険だったけど、うまく行ってよかった。今日は本当に楽しかったな。春は、始まったばかり。なんだかいいことが起こりそうな気がする。私は微笑んだ。
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