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私が学校に行こうと家を出たら、当たり前のようにヨシ君が付いて来た。学校での私を見られるのが恥ずかしいし、学校で彼のことに気づく人いたらどうしようかと思う。でもヨシ君は学校に行くのが楽しみみたい。ラジオで話すときの雰囲気や喋り方、天然なところ、そのままだなと私は思った。何を考えているのか分からないのは少し困るけど。
自転車は風を切り、やわらかい春の景色の中を進む。ヨシ君は私の自転車の後ろの荷台に乗っている。普通逆のような気がするけど、仕方ない。幽体離脱で実体がないからなのか、全然重さを感じない。ヨシ君は後ろ向きに座っているから、背中合わせ。二人で会話をしながら学校に向かった。
「あの電話番号はどうして?」
「どうして、私の所に来たの?」
「ここにいて本当に大丈夫なの?」
ヨシ君は答える。
「電話番号は、ことりと話をしたかったから。」
「幽体離脱する直前にことりと電話したから、もしかして、ことりなら俺のことが見えるかと思って」
「肉体が生きているから大丈夫だよ。たぶん、ちょっと休みたくて、戻ることを体が拒否しているんじゃないかな。だからここでのんびりして気が済んだらきっと戻れる気がする」
私はなんだかうまくはぐらかされている気がする。
「最近色々思うことあって。歌うことが好きだけど、好きなことを仕事にするってことは、趣味を一つ失うということだから。それに、俺のアイドル的売り出し方も気に入らないし。もちろんファンの人がいてくれるから歌が歌える訳で、ありがたいけど、本当に俺の歌は評価されているのかな」
「もちろん歌が評価されているよ!私、ラジオで歌を聴いてファンになったんだよ」
確かにヨシ君は顔がいいけど一番は歌だ。色々な発言を通じて人柄も好きになったけど、一番は歌だ。
「そっか」そう言った彼の声は少し嬉しそうだった。
学校に着いて私は自分の教室へ、ヨシ君は念の為、人目につかない所にいてもらうことにした。
可もなく不可もない私の高校生活。窓際の席に座って、窓の外を見ていた。窓は開いている。授業中いつも妄想していた。妄想の中では何だってできた。踊ったり歌ったり、笑ったり好きに振る舞えた。そっちが本当の私であればいいのにと思った。夢の中の世界を、こちら側に連れてこられたらいいのに。自分の思い描いた、理想とか妄想とか夢とかを現実に具現化できたら楽しいだろうな。
私はハッとした。自分の名が呼ばれている。
「続きを読んでください」国語の先生が言う。
私は授業を聴いていなかったので続きがどこらか分かる訳も無く、恥ずかしいけど、先生に聞くしかないか、仕方ないと思った。
その時。
「ここだよ」ヨシ君が教科書のページを指差して教えてくれた。
無事読み終えた私は、ノートの端に「ありがとう」と書いた。いつの間にかヨシ君は窓枠に腰かけていて、それを見てにっこり笑った。
昼休み、私とヨシ君は屋上にいた。彼が屋上の鍵を開けて二人で忍び込んだ。今日は友達が休みだったから、私は屋上でお弁当を食べる。
「いいのかな?」
「たまにはいいよ!俺の高校も屋上に鍵が掛かっていて、こっそり忍び込んでいたな。こうやっていると懐かしい」彼はそう答えて屋上に寝そべり、青空を見上げた。私も空を見上げた。雲は穏やかに流れ、優しく暖かい風が私達の前髪を揺らした。ぽかぽかして気持ちいいな。たまにはこういうのもいいかも。
さっきヨシ君が窓枠に腰かけていた時、誰も気づいていなかったな。私にしか見えないんだな。本当に「二人だけの秘密」。なんて、大げさかな。
午後の授業も無事終わり、放課後、図書館に行くことにした。ヨシ君がもし、元の体に戻れなくなったら怖いから、図書館で幽体離脱について調べることにした。私とヨシ君は隣同士の椅子に座り、一緒に本を見た。他の人から見れば、ひとりで座っているように見えるのだろう。
調べたことは以下の通りだ。
・幽体離脱、明晰夢、白昼夢は似ている。
・幽体離脱は事故によるものと、意図的なものがある。
・離脱した魂の方を自分の思い通りにできる。
・空を飛んだり、壁をすり抜けたりできる。その姿は人には見えない。
・意図的にやりすぎると、離脱後の魂が元の肉体に戻れなくなる。
・戻る方法は、戻りたいと思いながら肉体の側に行くこと。
何と戻る方法が載っていた。よかった。私は安心した。
もしかして、ヨシ君は休みたくて無意識で肉体に戻りたくないと思っているから、戻れないんじゃないかな。通学の時の話からして、歌うことに悩んでいるのかな。そういやヨシ君、私の所に来てから一度も歌ってないな。気が付くと歌ってしまうとインタビューで言っていたのに。でもこんなことが起こっているのに歌っている気分じゃないか。また歌いたいと思えば、戻れるのかな。
本を見ながらそんなことを考えていると、歌声が聞こえた。いつの間にかヨシ君は移動して、窓の外の木に枝に腰を掛けている。木漏れ日の中、チェンジ・ザ・ワールドを口ずさんでいる。本当に素敵な歌声だ。私の視線に気付いたのか、ヨシ君はこちらを見て、優しく微笑み、ひらひらと手を振る。あの日と、公開放送の日と変わらずに。優しく綺麗な歌声が響き、私の耳を柔らかくくすぐる。光と影はまだらに彼を照らす。
私は本を閉じた。彼には休息が必要なのかも。この夢はいつか終わってしまうけど、今はもう少しこのままでいたいと思った。
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