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チケットサイトは、ノートパソコンの画面上でいまだくるくると更新マークを回し続けていた。
違うブラウザでは応答なし。別のサイトでは早々に『アクセスが集中しています』と表示され、諦めた。花火大会の直後に帰途につく群衆のようなものだ。紗季が試みたアクセスは、そのただなかですっかり歩みを止めてしまった。
応答のないモニタを睨みながらぐりぐりとマウスで円を描く。固まっているのはそのサイトだけで、カーソルはスムーズに動いた。
左手に握っていたスマホの真っ白い画面に更新をかける。正常に映ったページに息を呑んだのもつかの間、そこには『終了しました』の文字とともに、グレーアウトしたリンクボタンがあるだけだった。社用スマホも同様だった。
自身の持つデバイスを駆使してなお、チケットひとつ取れない。これが、年末のカウントダウンフェス。
「ダメかぁ……」
がっくりと肩を落とし、いつもなら温めるはずの牛乳をちびりと飲んでラインを開いた。清貴とのトーク画面に悔し泣きする猫のスタンプをぽいっと投げ、ワイヤレスイヤホンを耳に押し込む。通信環境が少しでもよくなるよう願って止めていたSpotifyを再生する。
軽妙なドラムにギターが重なり厚みを増して盛り上がったイントロは、ふわっと転じて伸びやかな歌を迎えた。青空のなか、風を受けて飛ぶ大きな鳥を思い起こさせる曲だ。気が重いミーティングが設定されている日の朝も、この曲を聴くと足が軽くなる。だけどいまは、上がらない。
仕方がない。行きたいと思い立ったのが遅すぎたのだ。そのときにはすでにチケットの先行販売は終わっており、今朝十時からの一般販売を残すのみ。これが最後のチャンスだった。転売対策が強化されたらしい昨今、個人間の取り引きに手を出すのは怖い。あとはなんらかの事情で手放されたチケット枠を埋める公式リセールもありうるが、この調子では望みはますます薄いだろう。
ほかの人は、と思い立ってSNSを検索すると、〈だめだった泣きそう〉〈ムリですよねー、知ってた〉といった嘆きの声の隙間、〈運使い果たした〉と申し込みが完了したスクリーンショットを見つけた。いるところにはいるのだ。幸運の持ち主が。
もう一度深くため息をついたところで、着信音が音楽を遮る。紗季は咄嗟にスマホをフーディーのポケットへ突っ込み、ソファを立った。ベッドを窺いながら、細く開けたベランダの引き戸から静かに素早く外へ出る。
南西向きの四階から見える住宅街は、低気圧を連れてきた灰色の厚い雲に覆われていた。火災報知器の点検中なのか、近隣マンションから短いサイレンがジリリリ、と鳴り響く。室内だとそこまで気にならないけれど、生活道路があるため外の音が届きやすい家なのだ。
吹き込む空風に舞い踊る長い髪をゴムでさっとまとめ、イヤホンのボタンを押した。
「な、言ったとおりだっただろ」
親しみのある低すぎない声音が聞こえてくる。なじんだしたり顔が頭に浮かんで、紗季は思わず「キヨ」と泣きつくような声を出していた。
「繋がる気配すら全っ然なかった。スマホもパソコンも申し込みボタン押すところまでは準備してたのに。そっちは?」
「俺のほうも画面真っ白け。秒で諦めたわ」
「ねえ待ってこんな? 観客何万人って世界でしょう? 五類になったけどコロナだってなくなったわけじゃないのに?」
「五類になったからこそだよ。規制なくなったんだぞ。十代んときから参戦してきた俺にしてみりゃ、やっと戻ってきた感慨しかねえの。そのタイミングで一般販売狙いとかムリムリの無理っつたじゃん。抽選じゃなくて、先着順よ?」
最後ほとんどをあくびで溶かしながら、「まあ」と清貴は続ける。
「チケットはSNSで取り引きすりゃワンチャンいけると思うけど、詐欺被害もよく聞くしな。しかも紗季。お前、彼氏と行くのにぶっちゃけ乗り気じゃないんだろ」
うっ、と息を詰まらせつつ、紗季はガラス戸の向こうを気にした。「っつーことはだ」と清貴が言った。
「俺サマが持っているこの三十、三十一の二日通し券二枚のうち、一枚を、くれてやらんでもない」
無理だとばっさり言い切った清貴にそれでもと食い下がったのは紗季だ。わかっている。やれるだけのことはやった。右手の指を強く握り込む。中指にはまった太いシルバーのペアリングの存在感が増していく。
片割れの持ち主は、付き合って一年半になる恋人だ。『取れたら一緒に行こう』と言い合い、だけど今朝のチケット争奪戦には協力しようともせず、昨夜から泊まっていまもすぐそこのベッドで寝ている恋人、達也(たつや)。清貴の指摘に間違いはない。気が進まないのは事実である。
「さあさあ紗季ちゃん、俺イチオシアーティストだらけの二日間。いまなら二万七千五百円! お買い得ですよー」
「わかったわかった、うさんくさいなあ、もう」
どちらにしても気が進まないなら、楽しめるほうを選びたい。紗季は意を決した。
「キヨさんの余らせてるチケット、私が買います」
「おっしゃー、まいどー」と清貴がのんきに言った。
十二月二十八日から三十一日までの四日間に渡って行われる、カウントダウンフェス。屋内に大中小三つの特設ステージが設けられ、百十ものアーティストが今年最後のアクトをする。特に大晦日は、年越しの瞬間をライブで迎えられるのが魅力だ。飲食ブースや物販も多く、まさに音楽の祭典である。
ちょっと気になってるんだよね。
先行販売の抽選受付が終わろうかという先月、そんな軽い温度感で恋人に言った。「つまり夜中までそこで過ごすわけだよね。そしたら泊まりになるなあ」と当然のように返されて、「そうなんだよね」ととっさに答えてしまった。ともになど、ひと言たりとも言っていなかったのに。
「でもまだ決めかねてるし、そもそも二人ぶんのチケットなんて当たるかもわかんないから」
苦しまぎれでごまかした紗季に、彼は安堵したようにほほえんでいた。軽い愚痴のつもりでその顛末を漏らした相手が、清貴だ。
「だってさあ」大きくなりかけた声を、はっとしてひそめる。
「取れるなら一緒に行くって言うんだもん。そのくせ協力はしてくんないの。結局行くつもりないんだよ。そんな彼氏の手前、男友だちがチケット一枚持て余してるから便乗する、なんて言えないってば」
「一年半も付き合ってるにしては彼氏の余裕なさすぎね? 変だよなあ。付き合う前から付き合ってるっつーの」
「その言いかた語弊あるでしょうが」
だけどたしかにおかしい。本当にただ異性であるというだけで、清貴は友人でしかない。出会ったころからそうだった。
当時紗季は二十歳で、昼はデザイン学部の大学生で、夜は和酒バーの店員だった。そこの客としてやってきたのが清貴だ。二十三歳の彼は客層のなかでも特に若く、覚えたてのカクテルの実験台としてもちょうどよく、思わぬ速さと深さで意気投合した。店を介さずに会うようになるにも時間はかからなかった。
二人で、また清貴の友人とも交流を広げて、とにかく飲んだ。追い出されるように店を出て朝日を拝んだことは両手じゃきかない。始発のダイヤは完璧に覚えていた。そうするうちに宅飲みなら無制限だと気づき、ビールと酒瓶を手みやげに清貴の家に集まるようになった。つまみを用意するのは清貴だ。春には春野菜の天ぷらを、夏にはお手製のなめろうを、秋には焼いた銀杏と秋鮭を、冬には各種鍋を囲み、酒盛りをする。引っ越しの片づけさえ、酒と肴をエサに手伝いに行った。
「まーいいじゃん、言わなくて。俺だってわざわざ言うつもりねえもん。紗季と行くならなおさら」
「うそ、あんた明美ちゃんに黙ってるつもり? 一緒に行こうとしてたんじゃないの」
「念のため取っといただけ。そもそも明美は誘ってない」
「そんなことして平気? ええと、いま付き合って……」
「こないだ出会って十か月記念ディナーしましたけど、それとこれとは別」
ふーっと深い息がもれてきた。
「こちとら三年ぶりですよ。マスク自己判断、声出しありのカウントダウンは。俺、今度こそ絶っ対邪魔されたくないんすわ」
清貴はときどき敬語混じりにしゃべる。おふざけ全開のときと腹を立てているときで、いまのは明らかに後者だった。どこまで自覚があるのか知る由もないが、雲行きの怪しさを覚える程度にはうんざりとした声音だ。
大丈夫だろうか。ふだんは兄貴肌で気さくだけど、情が切れた清貴はかなりドライになる。前の彼女も、さらに前の彼女のときもそうだった。
「邪魔ってなに、なんかされたの?」
「あ、訊く? 訊いちゃいます? もう口利くたんびに文句モンクもんく。『立ちっぱで疲れたー』、『え、さっきも観たのにまたぁ?』ってよ。そりゃ音はうるせえし知らんだろう曲ばっかだしで気持ちはわかりますわ。と思ってそこに残して行けば『置いてくとかひどい』っつーの。そんとき地元の友だち集団と偶然出くわしたんだけど、女も何人かいてさ。『あれ何』って超絶フキゲンよ。でも俺の趣味に付き合わせた手前、やっぱ微妙だったか訊いたわけ。したら真顔で『そんなことないよ』だと」
口真似が妙にそれらしく、紗季は苦笑いになった。
明美は清貴の三つ下で、紗季と同い年だ。紗季は達也を、清貴は明美を互いに紹介し合ったときに、昔流行った少女漫画の話で盛り上がった。綺麗な顔立ちで背が高く、ひょろ長い清貴と並ぶとさまになる。軽口や悪態が多い清貴に負けない気の強さも感じた。
だけど一方で、ほんのりと紗季への敵意も感じた。友だちといえど異性だし、つるんで七年の貫禄じみた慣れもある。仕方のないことだと理解はしているが気も遣う。なんでもないから紹介し合い、互いの潔白を宣言するのに。
「私、刺されたくないからね」
胸にしまった苦さをふいに思い出して紗季は言う。すると耳の奥で、ひゃひゃ、とからかうような笑いが起こった。
「んな重く考えんなよ。年末年始だぞ」
「でも」
「帰省するって言やいーじゃん。平気平気、バレっこねえよ。俺なんか毎年行ってんだし、もはや地元みたいなもんだわ」
その口調に悪びれた素振りは一ミリもない。紗季が呆気にとられていると、清貴は続けた。
「まあ紗季がどうしても申し訳ないって思うんなら詫びセックスでもしとけば」
「ちょっと」
声が大きくなりかけ、慌てて引っ込めた。
「ソシャゲの詫び石じゃないんだから。大体レスだって前言ったでしょ。そんなことしたらむしろ怪しまれちゃう」
「達也くん俺とタメなのになあ。お前だって溜まらん?」
「したらしたでストレス溜まるの。脱いだ服全部たたむんだよ」
清貴が「たりー」と言いながらますます笑う。
「まあそれはともかく、紗季がチケット取れなかったのは事実だろ。だから今年は諦めて実家に帰ることにした。そんだけじゃん」
同棲すらしていないいま、不在ならば確かめようがないのだ。清貴と二人で行ったことが、バレないようにすればいい。
「そうだよね、私はチケット、取れなかった」
清貴のせりふを、なぞるように繰り返す。
一緒に行こうって話してたフェスのチケットなんだけど、やっぱりだめだったよ。残念だけど今年は諦めて、実家に帰ろうと思うんだ。年が明けたら一緒に初詣とか行こうよ。
フォローまで含めて自然で完璧だ。シナリオを頭に叩き込んでいると、ふいに清貴が「しかしよかったわー」と素朴な声をもらした。
「なにが」
「フェスの一人参戦は全然抵抗ねえんだけどさ、飲みと飯がつまらんの。お前となら気兼ねねえわ」
そういうものだろうか。だけど確か以前、慣れた場所以外での外食や外飲みは一人ではしないと聞いたことがあった。互いにメリットがあるようならそれに越したことはない。
「でも紗季さ、音源派だって昔豪語してたじゃん。どういう心境の変化よ」
いつだったか、酔った勢いでライブの魅力を語る清貴をあしらおうとして、そんなことを漏らしたような気がする。紗季は少し迷って口をひらいた。
「……先月、亡くなったでしょ」
とあるバンドのメンバーの名前を出す。清貴が淡々とした声で「ああ」と相槌を打った。
「ちょっと聴いたことがあるくらいで、好きでもなんでもない。自分とはずっと離れたところにある死のはずなんだけど、なぜかすっごくショックだった。で、思ったんだ。私が好きでいるアーティストの誰もが、明日も生きててくれるとは限らない。いざそのときが訪れたとして、観に行ってたのとそうでないのとじゃ、気持ちの落とし所がぜんぜん違う予感がしたの」
その死に哀しさはなかった。ただ、とてつもなく虚しかった。そこに寄せられる嘆きに、アーティスト仲間のお悔やみに、当人不在のところで溢れていく声の多さに虚しくなった。
そこで思った。観たい。観ておかなければ。映像や音源ならいくらでも視聴できるが、死んだ瞬間、いまある音源のすべてが過去になってしまう。その前に、身体中に生の音楽を浴びたい。どんな触れかたをしていても途方もない『なぜ』は残るだろうが、少なくとも自分が抱く後悔のひとつくらいは消える気がした。
「……なーんて。なんかガラじゃないね、ごめ――」
「いや、わかるわ。たぶん」
深い息を声に混ぜ、清貴が言う。紗季がなんとなくほっとしていると、清貴は見越したように切り替えた。
「また連絡するよ。あー、あと進(すすむ)が飲みたがってるぞ。主に日本酒を」
清貴の元同僚で、紗季とも共通の友人だ。大変な酒豪で酒にも詳しく、よく三人で酒盛りをする飲み仲間である。日本酒の魅力は彼から教わった。
「いいね、飲も飲も。予定合わせるよ」
「んじゃそっちはまたグループラインで連絡するわ。彼氏にボロ出すなよ」
「気をつける。じゃあほんとにありがとうキヨ。人生初ライブ、ってかフェス。すっごく楽しみにしてる」
「おう。ハマったら知らなかったころに戻れねえからな。覚悟しとけよ」
「なにそれ。脅し?」
軽く笑い飛ばす。吐息多めな笑い声のあと、「じゃ」と言われて電話を切った。曲の続きがフェイドインしてきて、音楽を聴いていたことを思い出した。
スマホの画面がSNSに戻り、手癖でフィードをリロードする。フェスの公式アカウントの投稿がトップに押し上がっていた。
『わたしたちは、音楽を止めない。大好きな音楽が集うこのフェスを、諦めない』
反射的にいいねをトンと押した瞬間、ハートが赤く染まった。ベランダは風が吹き込んで寒いけれど、胸はあつい。あとひと月後にはステージの観客となって、生の音が聴けるのだ。
興奮が醒めぬまま部屋に戻ったら、きっと逹也に変に思われる。紗季は頬を軽く両手で叩き、曲が終わるのを待って部屋へ戻った。
「おはよう」
隣室から聞こえた声に、意識が一瞬張り詰める。
大丈夫だ、なんてことはない。イヤホンをポケットに突っ込んで、人ひとり通れるだけ開けた折れ戸を覗いた。ベッドでは逹也がスマホ片手に身体を起こしていた。
「こんな朝から電話?」
「うん。例のチケット、友だちにも協力してもらってて。でも私もその子もやっぱり取れなかった」
「そっか。まあ音楽なんていつでも聴けるじゃない」
小馬鹿にしたように達也が言う。「正直ライブって心配だったんだ。コロナやインフルとかさ」
それを持ち出されるとなにも言えなくなる。送別会に歓迎会が続いた今年の春、コロナをもらってきたことがあった。理学療法士である達也は正しく警戒する。マスクが自己判断となったいまも、人が多い場所では必ずマスクをつける。
「だから私、やっぱ今年は実家帰るよ」
少し大きな声になった。ベッドを降りた達也の「そしたら」が聞こえかけたからだ。紗季は素知らぬふりで「夏暑すぎて帰ってなかったし」と付け足した。
「あー……、そう。前橋だよね。もう決めた感じ?」
「うん、久しぶりな子も帰ってくるって聞いてさ。せっかくだし顔出したいじゃない」
真実と思い込んで口にすると、案外それっぽく言葉は紡げた。自然ってどうやるっけ、などと考えたら駄目だ。達也だって鈍くはない。怪しまれそうなら、元旦から移動して本当に帰ったっていい。
「そっか。まあ三十近くなってくると、会えてたやつともどんどん会えなくなるしね」
「だからと思って。ねえ、レンジ使うね」
外にいたのも手伝ってか、あたたかいものを身体が求めていた。カップにミルクを足し、レンジに入れる。ぶぅーん、と年季の入った唸り声をあげる背後で、「やっぱそれうるさいね」とキッチンにきた達也が言う。見た目がレトロで気に入っているのだけど、達也からは不評だ。
「達也は? 年末年始、どうする?」
「俺も実家帰るつもりでいたんだ。ほんとは紗季さえよければ、一緒に行けたらって思ってたんだけど。ほら、もう付き合いも長いでしょ」
ぎくっとした。ついでに、そういう言い方はずるいとも思った。夏の終わり、達也の誕生日が過ぎたころから控えめな圧は感じていたが、決定的な意思表示はまだない。せめて訊いてくれたら、その気はないよ、と言えた。仕方なく「今回はちょっと」と濁す。
「じゃあ年明けは? 何日くらい行くの?」
「具体的なことはなんにも決まってないんだよね。とりあえず三十に移動するつもり」
ぴーっ、ぴーっ、というけたたましい音が、達也の「わかった」を上書きする。紗季はそれも、聞こえなかったふりをした。達也と険悪になってでも聴きたい音が切実にあった。帰省する、と言っただけでこれなのだから、清貴の名前を出そうものならもっと詰められる。
達也と付き合って間もないころ、当時の清貴の恋人を交えて紹介し合ったことがあった。紗季と清貴はなに繋がりなのかと尋ねられ、出会いやこれまでの付き合いについて語った。互いにとってはただの悪友のような存在で、ゆえに続いてきた関係だ。恋人たちも笑って聞いてくれ、その場は和やかに終わったかに見えた。帰りがけに達也が、電車の窓の映り込みよりずっと向こう、濃紺に染まった夜に向かって言った。
「結構びっくりしたんだけどさ、朝帰りに家飲みって、いくらなんでも軽率すぎない?」
内心しまった、と思った。余計なことまでしゃべったと、そのときようやく気がついた。
「でも私たち、なんにもなかったから友だちのままなんだよ。でなきゃ紹介なんて……」
「友だちっていっても男でしょ」
達也の声と態度はかたく、紗季の言い分を聞いてくれそうにない。かと言ってそのまま聞き流しても、清貴が侮辱されたような気がして嫌だった。
「俺は心配なだけなんだよ。紗季は、紗季が思ってるよりずっと女っぽいんだからさ」
なんのこっちゃ、と思う一方で、そう言ってもらえるありがたさはあった。達也は最初から、紗季を『守るべき女の子』として扱ってくれていた。紗季自身、そういう存在がいてもいいと信じていた。
異性間で友情があり得るか。
手垢どころか舌に苔が生えていそうな論争を、恋人となんてしたくない。そんなものいればアリで、いなければナシになるだけだ。安泰がほしかった紗季は、安心させるようにほほえんだ。
「達也がいるからもうしない。だいたいオールなんてさ、恋人がいないときしかしてこなかったもん。約束する。だいじょうぶだよ」
その約束をふたりしていま、破ろうとしている。
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