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さくらは急に小声になった。
三か月前のことだという。
さくらは書店で、ある小説を見つけた。絹子から絶版になったと聞いていた『煙の殺意』が復刊していたのだ。嬉しくなって購入すると、絹子の家に向かった。きっと喜んでくれるだろうと思うと足取りも軽かった。
ところが、玄関のベルを鳴らしても、絹子は出てこない。二階の窓に明かりがあるから留守でもないようだ。携帯端末で電話すると、家の中から電子音が聞こえてくる。
絹子は出ない。
「これは大変だと思ったの」とさくら。「だって、病気か何かだと思ったのよ。なんとかしなきゃと思って」
玄関は施錠されていた。そこで狭い通路を抜け、白木蓮の植えられた裏庭に回る。裏口も鍵がかかっていた。ノックしても応答がない。二階の窓を見上げると黄色いカーテンが半分開いていた。窓ガラスを凝視したが、室内に明りはなく真っ暗で、内部はうかがえなかった。
これはいよいよ救急車を呼ばなければならないのだろうか、それにしても救急隊員は家に鍵がかかっていても何とかしてくれるものだろうか。悩んでいると携帯端末が鳴った。
絹子だった。うたたねしていたのだという。急いで電話を切って、玄関口に回った。
「ごめんなさいね、気づかなくて」
玄関の硝子戸を開けた絹子は、髪が少し乱れていた。その割に目はぱっちりと開いていて、この人は寝起きでもこんなにも肌に張りがあって艶やかなのかとさくらは衝撃を受けたという。
「だってね、あたしなんて、寝起きはもう大変なんだから。あら、笑い事じゃないのよ。理子さん」
「いえ、わたしも寝起きは他人様に見られたくないです」
「本当にね、絹子さんってね、いつでもどこでも素敵なのよ。昔から御洒落なの。あたしこっそり真似しようとするんだけど、どうしてもうまくいかないのよね。同じ黒のワンピースのはずなのに、絹子さんが着てるとしゅっとしてシックな女優さんみたいなのに、あたしが着ると葬式帰りの人にしか見えなくて」
「引退した女優さんみたいなイメージ、ありますね」
「主演女優だったこともあるのよ、あの人。といってもうちの女学校の演劇部だけど」
さくらは全体的にふくよかで、顔も丸っこい。急に笑い出すのが癖で、どうやら話す前からその内容に自分で笑ってしまうようだ。今も何を思い出したのかひとしきり笑ったあとに続けた。
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