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いつも乾拭きして磨かれたシンクが濡れているくらいで、それほど汚れてはいなかったので、なんとなくがっかりしたと、さくらは言う。
「慌てる絹子さんが見たかったのよね、あたし」頬杖をついて言う。「でも、やっぱり片付いているんだもん、なんだか肩透かしを食らったような気分だったわ。その時なのよ、それが聞こえたのは」
「それって」理子は言った。「つまり」
「そう、それよ」さくらは頷くと単純に言った。「幽霊」
一瞬、しんと空気が張り詰めた気がした。教室にいるのに、さくらの目には、絹子の部屋が映っているように思えた。理子はつばを呑みこんだ。
「天井から聞こえてきたの。二階の床が鳴るような音だった。もちろんね、昔だったら全然不思議じゃないのよ。娘さんがいたからね、二階に人の気配がするようなことってあったわけ」
絹子は五十代で夫と死別し、二人の娘はすでに嫁いでいるという。
「今は一人暮らしのはずでしょう。だから、誰かいるのって聞いたの。そんなわけないでしょうって笑われちゃった。だから、気のせいだろうと思ったんだけど、やっぱり気配を感じるのよ」
さくらはいよいよ声を潜める。
「誰かに見られているような、そっと息を殺して様子をうかがわれているような、そんな気配なの。それでどうしても気になるから天井を見ちゃうのよ。するとね、絹子さんもほとんど同時に天井を見るの。そのくせあたしが絹子さんを見てるのに気づくと、すぐ笑顔になって。でもね、目が笑ってないというか、顔に笑みが貼りついてるだけで、どう見たって絹子さんも気配には気づいているのよ。だから言ったの。やっぱり二階で物音がした気がするって」
「絹子さんは何て」
「急に怒ったように目を吊り上がらせてね、そこまで言うなら確かめてみましょうよって」
「じゃあ、一緒に二階へ?」
「そうよ、確かめたわ。絹子さんがね、あたしは絶対に何もいるなんて思いませんとかぶつぶつ言いながら階段を昇って行ったの。階段はちょっと急で、手すりがついているけど、危ないのよね。だからゆっくり二階に向かって。薄暗い廊下を歩いて、客間と、今は物置になっている娘さんの部屋、それに裏庭に面した絹子さんの寝室を見たんだけど、誰もいないのよ」
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