バレンタインなんて、なくなればいいと思っていた。

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「ただいまー! キッチン借りるねー!」 バタバタと勢いよく足音を立てて、愛理(あいり)は家族である僕らへの挨拶もそこそこに、玄関からキッチンに駆け込む。 せめて制服を着替えろと叱る母親の小言もどこ吹く風だ。 これは僕が愛理と暮らし始めて8年、毎年欠かさず繰り返されるイベントだ。 今日は2月14日、バレンタインデー。 愛理は毎年この日は学校から弾丸のように帰って来てキッチンに篭もり、家中に甘い香りを漂わせるのだが、僕にはそれが少々面白くない。 なぜならいつものように鬱陶しいくらい話しかけてくることも抱きついてくることもせず、愛理は僕の知らない僕以外の誰かのために、チョコレートを作ろうとしているのだから。 しかし悲しいかな、普段料理などしない上にあまり器用とは言えない愛理は、毎年チョコレート作りを失敗して、僕に泣きついてくる。それを慰めるのは、もちろん僕の役目だ。それは苦痛ではないし、構わない。来年は成功するといいな、と手のひらで伝える。 けれどこれが成功していたら、愛理は僕よりその男の腕の中に飛び込んで行くのかと思うと、やはり面白くない。バレンタインデーなんてなくなってしまえばいいと思う。 男心も、なかなかに複雑なのだ。 それでも毎年粉まみれになって奮闘する愛理を激励しようとキッチンに足を運ぶのだが、これも「来ちゃダメ!」の一言で一蹴されてしまう。 好きな男にしか、見せたくないということなのだろう。面白くない。 だから僕は毎年追い払われると知りながら、今日もキッチンへとそろりそろりと足を踏み入れると、今年は去年までと違う、少し変わった匂いが漂っていた。
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