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「んぎゃ~、何だよ。この猫!」
シャーーッ!
威嚇の声と共に、鋭い爪が男の顔を引っ掻いた。
(うわっ。いったそ)
そんな鈴を追いかけながら、久賀は冷や汗を流している。
(俺、風間の方に付いてて良かった)
今更ながらにそう思った。
猫の爪の餌食になるくらいなら、用心棒の賃金をふいにしてもいいとさえ思った。
(でも、これいつまで続けたらいいんだ?)
屋敷中、十分浮足立っている。
目的は果たしたはずだ。
「いやーーん」
またひとつ新たな悲鳴。
およそ侍らしくない声を上げて額を押さえ蹲った男の横を通り過ぎながら、嬉々として爪を振り上げ続ける猫に、生暖かい視線を向ける久賀だった。
遠くから悲鳴が聞こえてくる。
それにかすかに頬を緩めながら、新之助は目的の人物をその視界に捉えていた。
彼が襖の向こうから部屋を窺っていることにも気付かないで、わたわたと右往左往している侍が一人。
その様子を、盃を片手に悠然と眺めている男が一人。
その男は羽織も袴も黒で統一していた。
「まったく、どういうことだ。任せておけば大丈夫だと申したのは、その方であろう?」
落ち着きない侍が、杯を傾ける男に声を荒げた。
「大丈夫と申し上げたのはクモさまのことだ。屋敷の警備はあなたの役割だろう」
やれやれと息をつく男の態度に、侍はますます苛立った様子で、男の持つ盃を取り上げてしまった。
「悠長に酒など飲んでいる場合ではなかろう。わしは今度のことが明るみになれば、今までのすべてが無駄になるのだぞ」
「そんなことは知らぬ」
男はまた盃を取り返すと、なみなみと酒を注いだ。
「し、知らぬとはなんだ! そなたの口車に乗って、わしは後悔しているのだぞ」
男が侍を見た。
その刺すような視線に侍がたじろいだ。
「貴様の短慮ゆえの結果であろう」
「な、なに?」
「まあ、よい。貴様は所詮捨て駒。どうなろうが俺の知ったことではない」
言い捨てると、黒づくめの男は盃を捨て立ち上がった。
盃から零れた酒が僅かに侍の袴にかかる。
「お、おのれ」
侍が脇差に手を掛けた。
それを見て、男が口を歪める。
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