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不思議そうな顔をしたおしずに、柳生は「師範代を呼んで来い」と指示を出した。
「師範代は今稽古を付けてらっしゃるわ」
「構わん。呼んで来い」
有無を言わせぬ言いように、おしずはしぶしぶという感じに部屋を出て行った。
「さて、ゆらさん」
「は、はい」
「上さまはご息災かのう?」
「う、う、う、うえさま?」
「ほほほ。あなたさまのお父上だよ」
「……!」
ゆらは奇異な物でも見るような目で柳生を見つめた。
その動揺が柳生に確信を与えたようで、「やはりのう」と言いながら、鷹揚な仕草でキセルに煙草を詰めている。
「お顔を見た時に似ておられると思うたが、お名を聞いてもしやと思うたのです」
「ど、ど、ど……」
言葉にならないゆらに、にっと笑うと、
「わしはここに道場を開く前に、恐れ多くもお父上と兄君に剣術を指南申し上げていたのですよ。ゆら姫さまは水戸におられたのですなあ」
ゆらはがくっと肩を落とした。
(世間、狭すぎっ!)
「こうして、お会いできたのも何かの縁のように思われるのう。有難い事じゃ」
「はあ」
力なく答えるゆらに構わず、柳生はにこにこと何処までも朗らかだった。
「それで……姫さまはどうしてここにおいでになった?」
「それは……」
ゆらが言い淀んでいる間に廊下に足音がし、おしずの他にもう一人、やや強面ながら整った顔立ちの美丈夫が部屋に入って来た。
「お師匠、お呼びか?」
「おお、師範代。忙しい所を済まぬのう」
「いえ。それで、ご用件とは?」
「うむ。おしずも聞いておけ。こちらは、将軍家の姫君 ゆらさまじゃ」
(うわっ。言っちゃったよ)
別に隠しておかなければならない事ではないが、お忍び気分なだけに素性の知れるのは気恥ずかしい。
「え?」
「ほう」
おしずはただ驚いたようだが、師範代はぎろっと、まるで値踏みするかのようにゆらを見ている。
「ゆらさまは水戸のご隠居の秘蔵っ子でな。江戸にお戻りになる折に、わしもご隠居から文を頂いておったのだ」
「そう言えば、二年ほど前に水戸から使いの方がおいでになったことがありました」
「左様。しかし、いかんせん、わしはすでに市井の中に身を置いておる。城に上がる機会もない。自然、姫さまにお会いする機会もなく、時ばかりが過ぎておったが、なるほど来るべき時というのは必ずあるものじゃな」
「まあ……」
おしずが静かに感嘆の声を漏らしている。
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