お芋のドーナツ召し上がれ

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「それにしても大正浪漫通りの和菓子屋ですか。商工会の建物も文化財で風情がある通りですよね。もし、お店の建て替えや修理が必要なときはわたしの名前を出していただければ、すぐにお伺いしますよ」  名刺を差し出され、三枝はどう受け取ればいいのか戸惑ってしまった。高校生が名刺を受け取る機会などそうありはしない。  ギクシャクしながら両手で名刺を受け取る。  そこには大手銀行の名前と、営業部主任という役職が書かれていた。  声もなく悲鳴を上げていると、紗川が笑っているのが聞こえる。 「岸さんはやり手だぞ。顧客は社長職も多い」  成る程、と思いながら名刺を見る。先程、中古車といっていたが、それも顧客がいるからなのだろう。 「何をおっしゃるんです。その若さでこれだけの事務所を維持するのは並大抵のことではありませんよ。しかもアルバイトまで雇ってる。なかなかできる事じゃありません」 「恐縮です」  実際を知らないとはいいことだ。  俊夫は夢にも思わないだろう。ビシリと高級スーツを着こなした男が、つい一時間前までソファで眠っていたなど。  それとも、背後に回って髪を結んでいる紐について細かに説明をした方がいいのだろうか。 (一応、上司だし? 残念さをアピールなんてしないけどさ)  帰るタイミングを逃してしまった三枝は、ひっそりとキッチンに下がった。もてなしの準備のためというよりも、逃げ場がそこしかないからだ。  静かにため息をつき、先ほど紗川から教えられた焙煎したての豆をコーヒーメーカーのミル機にセットする。  スイッチを入れゴオッという音とともに心地いい香りが広がった。  使用しているコーヒーメーカーのミル機は、表面は清掃できても細かいところまではできないので、細部に豆のカスが残ってしまう。それが雑味に繋がる。  とはいえ、紗川もそれを承知の上で任せているのだから多少の雑味は許してもらえるはずだ。  コーヒーとドーナツを持ってキッチンから出てくると、「殺される……」と言う客の声が聞こえてきた。 (殺人事件ってことか?)
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