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息を飲む音がさざなみのように広がる。
女が目を見開き、腕を振り上げた。
刹那、光が走った。そして、彼女が何をしたのかを人々は知る。
「もう、罪を重ねなくてもいいですよ」
探偵が犯人を後ろから抱くようにしてささやきかけた。
犯人の華奢な手から、一本のナイフが落ち、絨毯にあったシミの一つに刺さる。
それは、ひと月前、被害者が流した血の跡だった。
「あ、あんたなんかに何が分かる――」
「分かりません。人と人は分かり合えない。貴女が何を考えているのか、わたしにはわかりません。何故なら、わたしと貴女は別の人間だから、ですよ」
「離してっ!」
探偵は犯人の耳元にひそやかに告げる。
「被害者も、同じように求めていたはずです。貴女に……『わたしの心をわかって』と」
憎悪と殺意に満ちた犯人に探偵は愛情を込めて言葉を紡ぐ。
「しかし貴女は、殺した」
「――っ!!」
犯人が身じろぎする前に、年若い刑事が犯人と探偵の前に歩み出た。
「矢萩美紗都、紗川清明の殺人未遂容疑で逮捕する」
「こいつの殺人未遂容疑? 何言ってんの! あたしは井上紗凪を殺した犯人でしょ!」
「――ああ、認めましたね」
「……っ!」
探偵は犯人を解放し、歩み出た青年に向かって、呆然とする犯人の背を押した。
よろめいた犯人は手帳を開いている刑事の腕に受け止められた。
刑事は顔色一つ変えずに口を開く。
「殺人未遂は、今、そこの紗川清明を殺害しようとしたことを指しています。ナイフで刺そうしましたよね。俺は言っていませんよ。井上紗凪を貴女が殺したとは。貴女が言ったんです」
「あ……」
「なあ、英司。だから言っただろう? 犯人は自供する、と」
「全く……本当にお前ってやつは……女の敵っていうのはお前みたいなやつのことをいうんだろうな」
刑事はお決まりの口上を述べると犯人に手錠をかけた。
カチリ
無機質な音が、無音の式場に響く。
「これで事件は解決だ。帰ろうか、三枝君」
刑事と入れ替わりに歩み寄ってきた少年に、探偵は声をかける。
背筋を伸ばした探偵は、長い前髪をうるさそうにかき上げると、ニヤリと笑った。
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