452人が本棚に入れています
本棚に追加
白い菊の中に佇む四角い額。
その中に映る優しい笑顔の彼女。
未だ秀一の薬指にある銀色のリングを目にしながら思い出せば、不意に浮かんだ疑問のような。しかしどこか確信のある言葉。
『やっぱり・・・好きなのかな』
その気持ちが容易く想像できてしまうのは、己もまた消えない記憶と感情があるからである。
そのときであった。
先程まで思い出していた秀一の妻の姿ではない見慣れた茶色の髪が脳裏をふわりと過る。
瞬間ドキリと波打つ胸。
キュッと喉元が絞まり、暑くもないのにじんわりと汗が首筋を伝った。
眼鏡の小柄なスーツ姿が浮かぶ。
顔が見えないためにどんな表情をしているのかわからない。
いつも照れ臭さそうに笑い、しかし時折驚くほど愛らしくふわりと笑っていた彼の顔がゆっくりと見え始める。
ニンマリと口元に弧を描き小さな口が開いた。
汗がジトリジトリと額から首筋、鎖骨へと流れていく。
そして、その声は耳元で聞こえた。
「伊藤くん」
「うあっ!」
ガクンと巽の首が大きく揺れた。
目を見開き息を整えるように大きく吸う。
「おいおい、寝てたのか? って何でそんなに汗掻いてんだ?」
気づけば車のエンジンは既に止まっており、秀一が怪訝そうに季節外れの巽の汗を見た。
「・・・あっ・・・いや大丈夫・・・はは」
苦笑しながら伝っていった汗を指先で拭う。
「・・・・・・」
その様子を秀一がじっと見つめていたことに気がついたが、気づかぬ振りをして車から降りた。
最初のコメントを投稿しよう!