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「ゴツン」
所々で聞こえる小さな雑談と、車内でも聞こえるガタンゴトンという音にも負けないような音が一際大きく聞こえれば一瞬だけ静まり返った。
まるで音の発生源を調べるかのような静けさにその車両の乗客たちがキョロキョロするも、数秒もすれば先程と同じように小さな雑談や音楽を聞いたりと思い思いの乗車時間を楽しむ。
元に戻った車内の中でその男は窓硝子に頭を預けていた。
『音の発生源』の男である。
ほんのつい先刻までいた己の地元にある電車よりは幾分か古くさく見えるそれ。
青とも緑ともいえる座席はクッション性はほぼ無く背もたれも直角である。
テレビで見ていたようなローカル電車に乗ったのは、何も男の目的地の駅が鈍行しか停まらないような田舎などではなく、ただ単にぼんやりとした男が快速列車に乗り遅れるという失態の為だ。
大きく揺れる動きに身を任せ、目的地までもう少し時間がかかるだろうと自身の体も揺らしながらウトウトとしていたのだ。
すると、大きく揺れた電車の動きに合わすように男もまた金色の髪をふわりと踊らせ、すぐ隣にあった窓硝子へと勢いよくぶつけてしまった。
「・・・・っつ」
打ち付けた側頭部を労るように己の指先を持っていく。
腫れなどが見当たらないことを考えると、音の割りには大したものではなかったのだろう。
一通り擦り終えた側頭部をもう一度窓硝子へと傾ける。
今度は小さくカツンと音がした。
ぼんやりとした意識ではあったが到底目を瞑る気にはなれなかった。
窓硝子に頭を打ち付けるまで見ていた光景が瞼の裏に焼き付いているのだ。
薄茶色の柔らかい髪、包み込めるような小さな体。
常にはない顔で己を見上げ嗤う姿。
纏わりつくようなヌルリとした掌の感触。
鮮やかな赤と鉄の臭い。
己を捕らえて離さない記憶に息苦しさを感じながら男、伊藤巽は目的地の駅まで瞳を閉じることはなかった。
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