第一章 消えない記憶

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巽はじっと窓の外に視線を向けた。 四月に入ったばかりの為か。 薄紅色が舞っていた川沿いを過ぎてもちらほらと桜の花が咲いているのが見てとれる。 地元での記憶では二、三日前に満開を迎えていたようだったが、巽の見た感じではこの地も同じ時期に見頃となったのであろう。 「何だかこの辺も変わったよね・・・」 何度も行ったことのある秀一の家に行っているというのに窓の外に写る景色に全くの懐かしさを感じない。 「そりゃ六年も来てなかったらそうだろう。この辺もだいぶ変わったからな・・・」 ふわりと車内に風が舞う。 どうやら秀一が窓を開けたようで、同時に左の運転席から煙草の匂いが香ってきた。 慣れない匂いながらどこか安心するような粗悪な香りを浴び、薄紅色の花が視線を捉え軽い会話をする。 そんな中、巽の脳内では自然と昔の記憶が甦っていた。 すらりとしたシルエットと、サラリと風に靡くロングヘアー。 巽の記憶の中の彼女は優しい綺麗な女の人であった。 まだ祖母が生きていた頃、正月にお盆といった恒例行事の度に家族でこの街に来ていた巽たちを当時祖母と一緒に暮らしていた秀一の妻がよく世話をしてくれたのだ。 秀一の実姉である巽の母が『秀一にはもったいない』と笑えば彼女も困ったような顔で控えめに笑っていた。 当時子供のいなかった彼女は巽や妹の(かなめ)をよく可愛がってくれていたことを思い出す。 ぼんやりと思い出した在りし日の現実に、今隣に座る彼の空気に物悲しさを感じた。 チラリと外へと向けていた視線を一瞬隣へ移す。 右肘を肘掛けに乗せ、左手でハンドルを握っている姿。 意味もなく移した視線がソレを捉える。 そこには節くれだった指。薬指に自己主張の少ない細い指輪が一つ。 巽はなんだか彼女の優しく笑った遺影を思いだした。
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