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高校二年生で『渦朝』新人賞を取った後、俺は受験勉強もそこそこに都内にある私大に進学した。大学時代は本当に楽しかった。普通の大学生がそうであるように、勉強もせず酒を飲み、朝までバカ騒ぎした。今でも不思議に思う。大学生というのは何か特別な組織に守られているのだろうか。社会人なら、いや高校生でも、やったら怒られるような行為をしてもなんとなく許された。バカ大学生だからしょうがない。周囲の大人たちは白い目で見ながらも溜息一つで許してくれた。有罪に近いけどほとんど無罪、そんな不思議なカードが無限に使えた。
大学時代に本は二冊出した。けれど、作家でやっていくつもりはなかった。当時は職業作家で食っていく根性もなく、家に閉じこもって死ぬまで物を書き続ける自分の姿など想像もできなかった。就職し、働きながら気に入った作品を書ければいいと、恐ろしく甘い考えで都内にある大手食品メーカーの就職試験を受け、営業職で採用された。作家と会社員の二足のわらじのつもりだったが、サラリーマン側のわらじが脱落するのに大して時間は掛からなかった。
問題は満員電車だった。
今も住んでいる世田谷の桜から新宿までは、小田急線で経堂駅から新宿駅まで電車に乗らなければならない。朝の混雑率は二百パーセントに近い殺人的な満員電車だ。経験したことのある人なら分かるだろうが、あの中はちょっとした地獄だ。息を吸い込んで胸がへこんだ瞬間、肺が元の形に戻らなくなるほど人と人が密着している。パズルのように隙間なく、自分の体の一部が他人の体の一部になり、知らない人間と呼吸と体温を共有しながら、ただひたすら時間が過ぎるのを耐えるしかない。複雑に混ざり合った匂いと何かを押し殺しているような無音、気配を消した人間たちの意識だけが流れ込んでくる空間。
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