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恐ろしいのは代々木上原駅で扉が開く瞬間だ。降りる人間と乗る人間が混ざり合って、ドア付近はちょっとした戦場になる。人の悪意が目に見えるほど殺伐とした雰囲気が渦巻く。ドアが開いた瞬間に見える、顔、顔、顔。電車の中から見える項、項、項。ゲシュタルトが崩壊する。車内に足を踏み入れた瞬間、誰もが無言で無個性なモジュールになる。頭が痛い。吐きそうだ。
突き飛ばされ、渦巻く悪意に翻弄され、気がついたら駅員室にいた。
「大丈夫ですか?」
目を開けると黒の制服に身を包んだ駅員が、こちらを心配そうに覗き込んでいた。広い肩幅、長い手足、服の上からでも硬い筋肉で覆われているのが分かる逞しい体躯。その反面、体の大きさとは不釣り合いな顔が帽子の下から覗いていた。長めの黒髪と白い肌、黒目がちの純粋そうな瞳。体はでかいのに子どもみたいな顔だと思った。
「顔が溺死体みたいです」
顔色だろうか。それとも自分のパーツに対する評価だろうか。とにかく酷い顔をしていたのだろう。自分への評価は最悪だった。死体だ。それも溺死体だった。
初めて湊都を見た時、グレート・ピレニーズの姿が浮かんだ。毛が白くふさふさして黒い目をした困り顔の犬だ。当時、隣の家がその犬を飼っていた。学校帰りにパンを投げ入れると喜んで食べる、体だけは大きいピュアでアホな犬だった。パンを投げる振りをしてもそれを探し、見つからないと「先程のパン、どうやら失くしました。すいませんが次の下さい」という顔をする犬だった。
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