霖之助の独白 ――①

7/9
前へ
/36ページ
次へ
 たかが原稿用紙百枚程度の文章を書いただけだ。それなのに世界が変わった。印税は親の五年分の年収を軽く超えた。一夜にして世界が変わる。それが本当にあるとしたら、あのことを言うのだろう。自分自身は何も変わらなかったが周囲の見る目がガラリと変わった。一挙手一投足を褒められ、自分の吐く息にさえ価値があるような気がした。  ただ、世の中にはきちんと地獄が用意されている。地獄は天国のバーターで、天国とは常にセットなのだ。  注目され、才能があると持ち上げられ、あっという間に地に落とされた。受賞した次の年には二つ年下の美少女に最年少の記録を塗り替えられた。二冊目はまだ売れたが、三冊目から売り上げがぐっと下がった。それでも続けて七冊出せたのは少ないながらもファンがついてくれたからだ。純文学の世界ではまずまずの結果だったと思う。二冊目が書けない作家は多い。出せない作家も多い。生まれては消えていく。代わりは幾らでもいる世界。足掻いてしがみついて、気がつけば十年経ち、二十七歳になっていた。  その間に同じ新人賞でデビューした作家は、一人が盗作で消え、数人が空気になり、天才が一人だけ残った。その天才は純文学の最高峰の賞を受賞し、印税で子犬を買った。犬の名前はカフカだ。そんな暴挙が許されるのも才能があるからだろう。自分は犬を飼う余裕さえなかった。  天才のおかげではっきりと分かった。自分には才能がない。ただ少し器用で運がよかっただけだ。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

435人が本棚に入れています
本棚に追加