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「……ちっ、インク切れか。肝心な時に役に立たないな、ドイツは」
ここ数ヶ月、愛用してきたボールペン。
漆黒の太軸に銀の縁取りがアクセントを与え、その天冠には星型のシンボル。アルプス最高峰モンブランの頂を飾る白雪を意匠化したそれは、世界屈指の高級筆記具メーカーのアイコニックなシンボル。
「ドイツ起源に違いはありませんが、そのメーカーはいまやスイスのリシュモングループ傘下ですよ」
後方に視線をチラリと走らせると、今年、アナリストに昇格したばかりの黒木が資料の束を手に立っていた。
その相貌には疲労の色が濃い。だが、与えられたタスクを期限内に仕上げる、それだけがアナリストの価値だ。
「またお得意の蘊蓄か。一円の金も生まない知識なんてクソ程の価値もないんだよ、黒木。お前もMBAホルダーならカネになる情報を持って来い」
そう毒づきながら、左手を振り下ろす。
足下のゴミ箱に叩き込んだボールペンが堅い音を奏で、周囲の連中が反射的に視線を向ける。だが、それも僅かな時間のこと。彼らにも他人に注意を割く余裕なんてない。
睡眠不足で腫れぼったい瞼の隙間からゴミ箱を一瞥した黒木が、平坦なトーンで呟く。
「……あと、私からの誕生日プレゼントでしたね、それ。市場のお相手に忙殺されて、すっかりお忘れみたいですけど」
「筆記具をプレゼントするって行為にはな、『これを使ってせいぜい勉強しろ』って意味があるんだよ。目上の人間に贈る物じゃない。覚えとけ」
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