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立ち尽くす黒木の手から資料を引ったくって、ざっと目を通す。
ここ数年、オレが注目してきた通貨、スイスフラン。
欧州各地の戦場に傭兵を派遣して荒稼ぎした外貨で、金融立国を果たした永世中立国スイスの通貨。
世界での流通量は米ドル、ユーロ、日本円、英国ポンド、オーストラリアドルに次いで六位。ややマイナーな通貨ではあるが、日本円と並んで安全資産という位置付けで好景気時には売られる一方、有事の際には資金の逃避先として買われる傾向がある。
このスイスフランの米ドル、ユーロ、日本円クロスでの換算レート、直近数日から数年間の値動きをロウソク足で記録したそれらに黒木自身の手による几帳面な補助線が無数に引かれ、随所にコメントが付されていた。
「時間が惜しい。結論だけ聞かせろ」
「スイス中央銀行が2011年9月に設定したユーロ/スイスフランの1.2000という下限ライン、彼らはこれを無制限介入によって維持してきました。金融立国スイスの中央銀行として、今後もこのラインを防衛するという方針は覆らないと考えます」
「その根拠は?」
黒木がオレのデスクに身を乗り出して、熱の籠もった説明を始める。
乱れた髪が鼻先をくすぐり、汗から若さが匂う。シャツの裾がはみ出して真っ白な背中が覗いているが、それに気付く気配すらない。
この業界に関わる人間は、必ずどこかに歪みを抱えずにはいられない。それはディーラーとして強みであると同時に、通常の社会生活を営むにあたっては足枷となるケースが多い。
まぁ、オレも他人のことを言えた義理ではないけれどな。
自嘲の念から鼻を鳴らすと、黒木が振り返った。その眼差しを過ぎった不安の色を、あえて黙殺する。
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