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「お前の言うことにも、一理ある」
「じゃあ……」
「だがな。ノー・リスク、ノー・ライフだよ、黒木。リスクという名のスパイスなしにこのクソ退屈な人生を歩いていくなんて、オレには耐えられない」
「しかし、数日前にもスイス中央銀行のダンディーヌ副総裁が『ユーロ/スイスフランの1.2000というラインは、今後も主要な金融政策の基礎的手段である』との認識を示したばかりです。これにあえて逆行するポジションメイクは、命取りになりかねません」
「そのライン、割り込むのは時間の問題だとオレは見ている。買いオーダーが入ったら潰せ。徹底的に売り浴びせろ」
まだ何か言いたげな黒木にそう告げて、その身体をデスクから押しのける。
液晶ディスプレイに視線を戻した瞬間、携帯電話が震えた。表示された発信者を一瞥して無視するが、コールはいつまでも途切れない。
強く舌打ちしながら、通話ボタンを押した。
「どうした」
沈黙からは苛立ちよりも諦めが強く伝わってきて、オレの神経を逆撫でする。さらに無為な数秒を経てようやく、微かな声が耳に届いた。
「……あの子の誕生日よ、今日は」
デスク上のカレンダーに視線を向けるが、その日のスケジュールは仕事関係のみ。備忘を残すことすら失念していた。
カレンダーの横には、今年の初詣に撮ったばかりの家族写真。夫婦としては微妙な距離を置いて並ぶオレと妻、そしてその間で両親の手を握って無邪気に笑う、三歳の娘。
この写真も、家族思いだから飾っている訳じゃない。ただ、所属する外資系組織の文化に倣っただけ。
「ねぇ、聞いてるの?」
オレの沈黙を勘違いした妻の声に焦燥が滲む。
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