序 天狗の思惑

2/2
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/74ページ
 机に一枚だけ乗った紙。その薄桃色の紙ーー入学個票を見つめ、青年は深く息をついた。 「ようやく…………」  万感の思いで、そっと手に取る。  丸い文字で書かれた名前は樺山明已(カバヤマヒロイ)。添えられた写真からは、思春期らしい複雑さと、生来の勝ち気さが窺えた。  得てして同性に嫌われやすい幾つかの要素が、彼女からは感じられる。それは碧の黒髪美しい端麗な容姿であり、尊大にすら思える自尊心であり、自己中心的な発言だ。  だが、仕方ない。  彼女はそう生まれついてしまったのだから。  その彼女をこそ、彼らは探し求めていた。  息子の、嫁にーーー。  備考欄に大人の手で書き足された文によれば、明已(ヒロイ)は中学校でいじめと不登校を経験している。  彼にはわかった。彼女はどう考えても周りと相容れる存在ではない。  しかし当の本人にすれば……たぶん今でも……原因は不明。むしろ、自分を受け入れない世界を恨んだことだろう。  引きこもって一年半。  そんな状況だったからこそ、届いた入学案内と手紙に両親は即食いついた。  すべては、こちらの掌の上。  ふ……と、青年の紅い唇から笑みが零れた。優しく。妖艶に。  ほー、ほけきょきょ。  視線を向けた窓の外で、気の早いウグイスが一声鳴いた。その声はたどたどしくも、初々しい喜びに満ちている。  誘われるように、紙片がかさりと動いた。  明已の写真をつけたまま、まるで、足でも生えたかのように。  かさこそと窓辺へ向かう。  新しい季節は、もう、すぐそこだ。
/74ページ

最初のコメントを投稿しよう!