第1章 与える私

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「お疲れ様でした」 業務を遅番のスタッフに引き継ぎ、17:05にはタイムカードを押した。 自分でも不思議なほどに、「早く帰る」という目的を達成したがっていることに気付く。 「楽しみ、なんだよね。コロッケパンが。うん。」 考えつく範囲で今の気持ちを口にしてみたが、私を客観的に見ている私自身が、まるで言い訳だね、と、囁いて通り過ぎて行った気がした。気がしただけ、と、私は心の中で繰り返した。 職場の薬局から歩くこと10分、17:20には約束のコンビニに到着した。 早く着いてしまったかと思ったが、彼は既に到着していた。 「お疲れ様です」 お互いに、仕事上の立場を元にした挨拶を交わす。 「申し訳ないです!」 まず彼が謝罪の言葉から切り出した。 「はい、約束のコロッケパン!…と言いたいところなんだけど、今日はもう完売したそうなんです。」 彼は両手を私の方に差し出して、何も持っていないことを見せた。 「えっ、そうなんですか…。それは残念ですが、よく考えたら人気商品なので、完売も当然ですよね。」 再び私自身が、そんなに残念そうに見えないけど、と投げかける。 「遠川さんに、楽しみにしてると言ってもらったのに、申し訳ない!という思いで、店長に頼んでみたら、後40分程で特別に焼き上げてくれることになったんです!」 「本当ですか!嬉しいです!なんだか色んな方にご迷惑をおかけしてしまったようで恐縮です。」 「とんでもない、元々、私が言い出したことですし。ただ…」 「ただ…?」 「ちょっと急な要件で一旦事務所に戻ってから受け取りに来たいのですが…遠川さん、お住まいはこの近辺でしたっけ。もしご迷惑でなければ、後ほど近くまでお届けをと思いまして。」 彼の視線が、私の身体に絡みついてくる。 進むか、戻るか。 正しい答えを導くためのヒントは、既に全て与えられている。 私は、口を開いた。 「ありがとうございます、楽しみに待っています。」 住んでいるアパート名を告げ、着いたら電話するために、と連絡先を交換した。 私の出した答えと、彼の望みは、一致したのだった。 約束通り、約1時間後、彼は仕事を終えて電話をかけてきた。 私は、簡単に掃除を済ませた部屋に、彼とコロッケパンを招き入れた。 そして、私達はそういった関係になった。
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