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春樹の頭上には、どんよりとした青空が広がっている。とぼとぼといつもの道を歩き、いつもの電車に乗り、日本橋へと向かった。
駅を降り、春樹はスーツ姿が行き交う街を歩いていった。そして角にある店へと入る。
「おかえりなさいませご主人様」
「あ、モモコちゃんおはよう。オレンジジュースもらっていい?」
「かしこまりました」
モモコは笑顔でそう言うと、グラスを右手にとった。
――もうこの店に通い始めて二年になるのか……
カウンターに腰掛けた春樹はふと二年前のことを思い出していた。勤務先のロッカーを一日ですべて整理し、とぼとぼと帰るところで見つけた店が、この「メイドインにっぽんばし」だったのである。この空間は、春樹を温かく迎え入れる数少ない場所だった。
モモコがオレンジジュースを春樹の前に置くと、ふと口を開いた。
「そういえば、もうサキコさんが卒業して二週間になるんですね」
「そうだね」
「『サキコちゃん神推し』のご主人様にとっては正直、さみしいでしょう?」
「どうだろ。さみしいってことはないんじゃないかな」
強がっちゃって。と出掛かった言葉を飲み込むと、モモコは鶏肉を慣れた手つきでそぎ切りにしていった。『神推し』とは、あるアイドルやメイドなどを気に入っているときに使う言葉『推し』を非常に強めたもの。ほかにも類義語として『超絶推し』『激推し』などがあり、そのぐらいの熱の入れようだ、ということを示す。ただ、この店に勤務するメイドの中では「春樹はサキコ神推し」という説はあまり有力ではなく、むしろ「春樹は、推しを通り越してサキコにガチ恋(推しているメイドに本気で恋してしまうこと)している」という説の方が圧倒的に有力だった。
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