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狡い御人だと思う。
神の身内贔屓は良く知っているが、それにしたって大馬鹿者ではないかと怒鳴り散らし、ぶん殴りたくなる。
妻の怒りを知ってか知らずか、国津神はゆるりと立ち上がり告げた。
『いつの日か其方が死ぬ時には……その御霊、迎えに行こう。その時は大和が沈んでも恨むなよ?』
「……背の君……っ」
『さらばだ』
妻の黒髪を一撫でだけして、その姿は掻き消える様に地に溶けた。
行ってしまった。
娘の顔も見ずに。
いや、もしかしたら見れなかったのかも知れない。
吾子に泣かれると、いつも赤い瞳を見開いてオロオロとしていたから。
表情は勿論、変わらなかったけれど。
「背の君……っ」
悔しさに拳を床へと叩き付けた。
酷い音がして、拳から血が滲んだが痛みはなかった。
暫くすると、遊び終えた娘が社の中へと駆けて来る。
自分に似た黒髪に黒い目、あの人に似た涼やかで、今はまだ愛らしい面差しを綻ばせて。
「ははさまー!」
「あ……」
無邪気な声音に顔を上げると愛娘がニコニコと手にした鬼灯を差出した。
「ねえみて、ははさま!あかいの!」
「……鬼灯だね。綺麗なもんだ」
「ととさまの、おめめ!」
それから父親にも見せようと辺りを見回し、キョトンと首を傾げた。
「あれ?……ねえ、ははさま。ととさまは?」
「………」
「ととさま、いないの?おでかけ?」
いつもは家にずっといるのに、と口を尖らせる。
「まだ、おつとめのツキじゃないって、いってたのに!」
神無月の事を言っているのだろう。
出雲に出仕する月だけ社を空けると、賢い娘はきちんと理解していた。だがそれ故に拗ねているのだ。
「ねえ、ははさまー。ととさま、いつかえる?」
純粋な問い掛けに穂浪は答えられなかった。
「……さあ?いつかねぇ……少し、お出掛けすると言っていたから。けど気が向いたら……ふらっと帰って来るさね、きっと」
「ほおずきは?それまでもつ?」
「どうだろうねぇ……けど、もし駄目になったらまた探してやりな。父様、きっと喜ぶよ」
「ほんと!?じゃあ、さがしてあげる!」
「ああ……」
いい子だね、と頭を撫でると娘は母に抱き着いた。
幼い我が子を抱き締めて穂浪はグッと奥歯を噛む。
泣くもんか。
泣いてたまるか。
あたいがこの子を守るんだ。
あの人の代わりに。
そう誓いながら、暮れなずむ空を窓越しに睨んだ。
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