プロローグ~終の地

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プロローグ~終の地

夜か、と俺は独りごちた。 上を見ても下を見ても、ここには何も無い。 月も星も。 木々も他の生き物の息遣いも。 果ては大地すらも。 何も無い。 そう、文字通り“何も”。 夜だと呟いてみせたのは時間感覚を失わない為に行っている最早、恒例行事みたいなもので特にこれと言って感慨もなければ意味もない。 もうどれ位こうしているかなぞ、すっかり忘れちまったが少なくとも一つの文明が興って消える程度には長いだろう。 暇だ。 何となく見回す振りはしてみたものの、あるのは無限に広がる闇と、俺に喰い散らかされ乾ききった源素(マナ)の残骸くらいなもので、これといって見るべくもない。 退屈だ。とても。 最初にこの地へと落とされた時には此処にもまあそれなりに色々ありはしたのだが、腹立ち紛れに手当り次第辺りにあるものを壊したらこうなった。 自業自得と言えばそれ迄だが。 他にやる事もなかったしな。 どうしたらいいか思いつかなかった。 俺は悪くない。 奴等は俺に「悔い改めよ」なんぞとほざいていたが、俺にそんな概念があれば、そもそもこんな概念(せいかく)にはならなかっただろう。 ちょっと考えれば餓鬼でも分かる事だろうに、本当に心底オメデタイ連中だとしか言いようがない。 そう言えば悔い改めれば出してやる的な事も言われた様な気もするが……未だに出られないって事は、俺は奴等的に見て全く悔い改めていないという事なのだろう。 いや、そもそも俺の事なぞ忘れてる可能性も無くはないが。若しくは初めから出す気なんざ更々無いかーーどちらにせよ、もうどうでもいい事だ。 ああ、さっさと消えちまえねえもんか。 そうすれば、この退屈な時間ともおさらばだ。 別に未練などないし、後悔もしてねえ。なのに、俺は生きている。 退屈だ。 ぼんやりと呟き、五感の溶けた四肢を気紛れに動かそうと試みる。いつもと変わらない無意味で無駄な暇つぶし。 結局、いつも自分を認識出来ずに終わる。 退屈な日々。 その筈だった。 ーーー? ふと違和感を感じたのは一瞬。 不審に思い、闇の中では既に役に立たなくなった視覚に意識を集めた。 するとそこに、それは現れた。 光だ。 平衡感覚はとうの昔に失ったが、それでもその光が指す方向が上だ、と本能的に理解した。仄赤く、遥か対岸で灯る1本の蝋燭にも似た幽かな光。 明らかに知覚できた。 戻って来た。 俺の目。 「これは……」 呟きが音となって鼓膜を打つ。久しく失われていたそれに、不覚にも「うるせえ」と感じてしまった。だが、確かに聞こえた。 俺の声。 「どう言う事だ?」 感覚が戻り始めた事で疑問が生じる。 少なくとも奴等の差金じゃねえ事は確かだ。 奴等には、そんな慈悲も義理もないだろう。 だとしたら、これは何だ? 「面白い」 俺は自らの意思で四肢を意識し身体を、腕を動かし伸ばした。あの光を掴んでみようと。もしかしたら何かが変わるかもしれない。 少なくとも、ただ闇の中を漂うよりは余程面白い事になるに違いない。 こんな風に心動かすのも、幾久しく忘れていた気がする。明確に「何かをしよう」と思うのは実に、実に久方振りだ。 手を伸ばす。 腕を、指を意識して。 だが光にはまだ届かない。 遠すぎるのか。 しかし、僅かな光に己の腕の輪郭が浮かび上がるのが見えた。 俺の腕。 遥か上空にあるそれはか細く、脆く、驚くほど貧弱で今にも壊れそうな儚さで瞬いている。 注意して見なければ、直ぐに見失ってしまう程に弱い。だが、それは確かにそこにある。 なら答えは簡単だ。 距離があるなら詰めりゃいい。 俺はゆっくりと光に狙いを定めて下肢を動かした。 源素の枯れた虚無(うみ)で動くのは通常困難だが俺なら可能だ。 身体に力が戻ってくる。ごく僅かだが、動ける程度の力が。 水を蹴るように脚を動かす。顔を上げて、目はしっかりと光を見据え、そこに向かって蹴り出す。 俺の脚。 水面を照らす月とまではいかないが、確かな道標を得た俺に、迷いはなかった。 少しでも上へ。少しでも前へ。 あの光の在る方へ。 その先が天国か地獄かは、この際どうでもいい。 「少しは楽しめそうじゃねえか」 前より近付いた光に自信を深め、俺はただ浮上する事だけに専心した。
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