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その時、夫に請うた。
娘を救いたいと。
我が子さえ無事でいてくれるならそれ以上、何も望まない。
自分を贄にしてもいい。
ただ、この子だけは救ってと。
夫は言った。『ならば、我が鎮もう』と。
「鎮むって……」
『大津波は海の底の大地が震えて起きる。だから我(おれ)が底地で押さえる。要石ならぬ……そうさな、要神、と言った所か』
「そんな」
『それ以外に、方法などなかろうよ』
庭で娘がはしゃぐ声が聞こえる。
きっと他の子らと鬼ごっこでもしているのだろう。
「海の底って……押さえるって……アンタはどうなるんだい?」
尋ねると夫は首を傾げた。
『さてな……恐らく眠る事になろう。大地を鎮めるのに、力の大半を割かねばならぬ。起きていては叶うまい』
「……!」
『根の国の女王と天津神との約定だ。国津の神が1柱鎮んだとしても抗えるものではない。恐らく、ある程度の被害は出よう。が、やらねば近日中に紫山(しざん)は沈む。大和も然り』
「……っ」
唇を噛んだ。
夫は続けた。
『全てを救う事は出来ぬが、それでも……一部は救えよう』
「……アンタ……」
金色の髪に鬼灯の瞳で、人の形をとった国津神は、妻に語る。
『まあ、我としては他などどうでも良いがな。お前と吾子(あこ)さえ健やかなれば、後は知らん』
「神なのに、その考え方ってどうなんだい」
溜息をつくと夫は不思議そうに首を傾げた。
『神なればこそよ。人など知った事ではない。寧ろ妻と吾子の為に鎮んでやるのだ。ついでとはいえ、助かった者たちには贄の一つも寄越せと言いたい』
「……相変わらずだねぇ、アンタは」
己の妻子以外に全く興味を示さないのは彼の気性によるものだろうか。分からないが、それでも夫がそこまでしてくれるとは思ってはいなかっただけに胸に来るものがあった。
「分かったよ。で、一体どれくらい眠る事になるんだい?一年(ひととせ)、二年(ふたとせ)?」
夫は強い国津神だ。
だからきっとそれ位でカタをつけてくれるだろう。
そう高を括って尋ねたが、返ってきた返答は驚くべきものだった。
『永久(とこしえ)に』
「……え?」
目を見開いた。
夫はさも当たり前の事の様に告げる。
『起きれば大地が震えよう。故に、お前と吾子が死ぬまでは、目覚めるつもりは無い』
「な……!?」
驚愕していると、感情表現の薄い夫は妻の瞳を見詰めながら続けた。
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