第3-2話「父との対面」

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第3-2話「父との対面」

室内に入ると東方で珍重される香木の匂いがした。 赤い厚手のカーペットが敷かれた床。天井まで伸びる高い本棚は、古今東西の貴重な文献で埋め尽くされている。 深い色合いの木製の大きなデスクには大量の書類が積み上げられており、その背後にある採光性の良いガラスの窓からは春らしい日差しが差し込んでいた。 デスク横の長テーブルには魔術に使う晶石や媒介となる道具類が整然と陳列されており、さながらオブジェの様にも見える。 べネトロッサ家当主の執務室。 デスクに付属した木製の稼働椅子には1人の男性が静かに座っていた。 銀に近いプラチナの髪をきっちりと後ろに撫でつけ、手首には薔薇の蔦で編まれたブレスレット。 細い銀製フレームのモノクルを掛けてた男性は仕立の良い赤を基調とした導衣を身に纏い、座ったまま手にした書類に目を落としている。 「お久しぶりです、お父様」 仕事中のようだ。 一瞬出直すべきか悩んだものの、呼ばれていると聞いてから直ぐに出てきたので都合が悪いという訳でもないだろう。私を呼ぶ事自体、一番煩わしいと感じているだろうから。 「来たか」 静かに呟くと男性ーー父は一瞬だけ視線を上げた。 氷を思わせるアイスブルーの瞳が向けられ、私はびくりと肩を震わせる。 「査定に失敗したそうだな」 何の感情もない声が確認する様に事実のみを尋ねる。 「申し訳、ございません……」 「初めから期待などしていない」 「……はい」 「だが召喚はした」 「……仰る通りです」 恐らく今の一瞥で私の印章を見たのだろう。これだけ目立つ印章なら、僅かに視界の端に捉えただけでもそれと認識出来る。 「報告がなかった様だが?」 責めるのとも、咎めるのとも違う声音が耳を打つ。ただ事務的に、事実の確認をするだけの言葉。 「申し訳ございません。その……意識を、失ってしまって」 「未熟な」 「申し訳ございません……っ」 俯いてローブの裾をギュッと握り締める。 ああ、また落胆させてしまった。 「お前の兄弟たちは皆、召喚しても意識を保っていた」 「仰る通りです」 「普段からくだらん本ばかり読んで修練を怠るから、肝心の分配率を誤り失態を晒す」 「はい……」 違う……違います、お父様……! 私は内心で小さく反論した。無論、声などには出せないが、それでも……私にだって言分はある。 私は修練を怠ったりはしていない。 確かに文献を読み漁りはしたが、それは一番の難関だった第2節の召呼の言霊に応えてくれる従霊の性質を探る為だ。 霊層と回路の接続をより効率化させる為、独自のトランスシステムも開発した。 いざ契約の際に魔力が枯渇しないように、重瞑想で魔力容量(キャパシティ)を増やす努力もした。 確かに全て結果には結び付かなかったけれど、決して悲観して、遊び呆けていた訳ではなかった。でも 「申し訳、ございません……」 口から出るのは謝罪の言葉だけ。 情けない。 もしかしたら従霊を召喚すれば父の態度も変わるかと望みを賭けていたが、どうやら思い違いだった様だ。 「それがお前の従霊か」 私への興味など失ったのか、父はルーちゃんの方へと視線を移す。私のことは一瞥するだけなのに、彼のことはしげしげと眺めて観察していた。 「印章の大きさから判断するにパワーはありそうだ。だが意匠の精緻さに欠ける分、行使できる能力は少ない。色は濃いが濁っている。従順とは言い難い」 私の印章とルーちゃんを見比べ、そう所見を述べる。 「姿形も粗雑で品性の欠片もない」 「お父様……!」 いくら何でも本人を目の前に、余りにも失礼だ。 抗議の声を上げようとするが、それは冷たい視線で封殺された。咄嗟に言葉が紡げなくなる。 「恐らく古代王朝期に死んだ蛮族の戦士あたりだろう。雑霊(ざつれい)の一種か」 口を噤んだ私を無視して父は値踏みするように彼を見遣った。ルーちゃんはと言うと、珍しく口も開かず父に言われたい放題に徹している。 彼の性格なら、今の一言で何かしら反論しそうなものなのに。それを主の身内へ対する敬意の現れととったのか、父は更に続ける。 「扉を通れると言う事は蛮族でもそこそこは名のある戦士だったのかもしれんが。従霊、名は?」 私ではなく、彼に直接問い掛ける。 いや、もう私ではなく、彼にしか興味がないのだろう。 つまり、私はおまけ。 「仮に俺がてめえの言った通りの存在だとして、だ。名乗った所で蛮族の名前なんざ知らねえだろ、お偉いさんは」 「ほう、賢しらに……真名を明かさないだけの知恵はあるか」 僅かに感心した声で呟く。 ……何だろう、この嫌な感じ。 父が他人へ興味を持つのは珍しい。ルーちゃんを雑霊呼ばわりしているのに、真名を知りたがるだなんて……まるで、真名を奪って契約を上書きしようとしているみたいな。 「大将、あんた……俺をどうしたい」 ルーちゃんが父に問い掛ける。 「あんたの口振りじゃ、まるで俺の真名をこいつから奪って、あんたの従霊にしようとしてる様に聞こえるぜ?」 私の疑問と同じ事を父に聞く。すると父は軽くモノクルを押し上げた。 「大した事ではない。私に君の様な雑霊は必要ないが……彼女にも同様に不必要だ。雑霊級の最下位従霊を我が“ベネトロッサ家の従霊”として認める訳にはいかんのだよ。よって現在、彼女と履行中の契約を“上書き”し、私の従霊とした上で、然るべき時に……解放した方が良いと判断した」 「ほう?」 ルーちゃんが口元を歪めて腕を組む。 「悪い話ではないだろう。君は私から大量の魔力を得た上で元の世界に戻り、彼女は分家へ嫁ぐ。我が家の性質上、従霊を持った状態で他家へ嫁がせる訳にはいかない。分家とはいえ、イェルガー家は裕福だ。何不自由ない暮らしが約束されている」 「で?」 「君が呼ばれたのは不幸な事故だ。主の幸せを思うなら、どうだろう。ここは私との契約に応じてくれないだろうか。悪い様にはしない」 感情の見えない瞳で彼を見遣りながら、父はそう語る。 私の事など端から無視して。 私の、私の従霊を…… 私から取り上げようとしている。 「あんたの言い分は分かったが……で?」 ルーちゃんが首を傾げた。暗い気持ちを抱く私を他所に。彼にはまだ、話があると言うのだろうか。 「で、とは?」 父も同じ事を思ったらしく聞き返す。すると彼はニヤリと笑を深めた。 「あんたにゃ聞いてねえよ。俺が聞いたのはこっちの小娘だ」 「……え?」 弾かれた様にルーちゃんを見上げる。血の色をした赤い目が私を写した。 私を 私だけを、見てくれている。 「てめぇはどうしたいんだ、ソルシアナ。俺との契約を打ち切るか?それとも続行するか?」 「そ、それは……」 言い淀む。 父の視線がこちらを向いた。切るように冷たい眼差し。その瞳に見詰められると思考が停止しそうになる。体から血の気が引いていく。 どうしよう。どうしたらいい。 躊躇っていると不意に、とんでもない力で頭を掴まれた。 「おい馬鹿、そっちじゃねえだろ。今話してんのは俺だ。こっち見ろ。人と話すときは目ぇ見て話せって習わなかったのか」 「い、痛いです!」 思わず悲鳴をあげて彼の手を振払おうとしたが無理だった。大きな手に、がっちり頭を掴まれ固定される。 「てめぇの親父との話は済んだ。ならこっからは、てめぇと俺の話だ。外野は無視しろ。俺に話せ」 「……」 言われてルーちゃんを見上げた。 彼の目には私しか写っていない。その上で彼は聞いてくれている。 お前はどうしたいのか、と。 「私……」 今まで何かを望む事はなかった。召喚できれば、従霊さえ出来ればそれでいいと。 誰からも存在すら認めて貰えなかった私が、認められる術がそれしかなかったから。結局、召喚しても認められはしなかったけれども……それでも彼は、彼だけは、私を見てくれている。 粗雑で乱暴で、すぐ噛むとか齧るとかいうけど、こうして私の言葉を聞こうとしてくれている。 この世界でたった1人だけ。落ちこぼれの私の言葉を待ってくれている。 「私は……」 ギュッと拳を握る。恐怖で握り締めるのではなく、意志を示す為に。 「私は、嫌、です」 「で?」 「私は、嫁ぎたくなんかないし……もっともっと、勉強がしたいです」 「で?」 「沢山のものを見たいし、知りたいし、誰かの役に立ちたい」 「そうかよ……で、結論。てめぇはどうしたい?」 続行か、上書きか。 それは私に委ねられた唯一の選択肢。自分で決められる最初の1歩。 「私は……」 震えながらも口を開いた。示さなきゃ。小さな歩みでいい。 自分の人生は、自分で選ばなきゃ。 「上書きなんて認めません。絶対、やです」 意思を固めるとキッパリと、自分でも驚くくらいはっきりとした口調で告げた。 「良く言った」 私がそう言うと、ルーちゃんはニイッと牙を剥き出しにして笑った。その顔はどこか満足そうで、心底楽しそうで……何だか初めて、彼の笑った顔を見た気がした。 「だ、そうだ大将。悪いな。あんたの上書きには応じられねぇ」 「そうか」 父の声が響いた。相変わらず感情の欠片もなく、冷たくて平坦だ。けど何故だろう。私の体はもう萎縮したりはしなかった。 勿論、真正面から受け止めるのはまだ怖いけど、それでもルーちゃんが側で見ててくれるなら爪の先ほどしかない無けなしの勇気を振り絞れる気がした。 「お父様、申し訳ございません。でも私、もう少しだけここに居たいです」 役に立たない娘だけれど、それでもまだ自分の人生を諦めたくない。 「本日中に従霊の登録書を提出します。それから魔術師としての登録申請も。申請許可が降り次第、職務も開始します」 「……下がりなさい」 私の宣言を受け流す様に、父は書類に目を落とした。それでも私は構わなかった。 「失礼します」 深々と一礼して背を向ける。 扉を出て、静かに閉じた。
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